私はあまり覚えていないけど、「最後の正月になるかもしれない」と家族そろって八丈島を旅行したとかいう話だから、かなりのことだ。
そして年が明け、迎えた運命の日。
一通り検査を終えて、レントゲン写真を手にした主治医はこう言った。
「おめでとう! 腫瘍はきれいに消えていますよ」
抗がん剤と放射線をメインに、あれこれと手を出しためちゃくちゃな治療だったけど、1年間の通院で、見事に寛解してしまったのだ。
「バンザーイ!」
それを聞いて、パパは小躍りした。医師も驚いてこう言ったそうだ。
「昨年、同じ症状のがん患者が約500人いたけど、助かったのは梅宮さんを含めてたったの6人だけです」
奇跡的な寛解を遂げた一人として、国立がん研究センターには、パパの治療記録が残されているとか。マジか。もしこれが本当の話なら、今度その記録を見てみたい。
医者だったおじいちゃん
それにパパは、もともと医療に無縁なわけじゃない。
前にも書いたけど、おじいちゃんは医者だった。
中国・瀋陽市にあった満州医科大学を卒業した医学博士で、ハルビン医科大学病院に勤めていたらしい。仕事熱心で誰かが倒れたと聞けば、雪が降っていようとも往診カバンを手に飛び出すほどだったとか。
戦争のときには、負傷した兵士の治療にもあたっていたそうだ。
日本に引き揚げてきてからも、「梅宮医院」を開いて、真夜中に急患が出れば、すぐに往診に向かっていた。
そんなおじいちゃんの姿を見て、パパは「医者という仕事の大変さ、医療の大切さを知ったよ」なんて私に話したこともある。
おじいちゃんは見た目もカッコよかったし、背も大きかった。おまけにアイスホッケーの選手までやっていたらしい。
そんなんだから、すごくモテた。
梅宮医院のある戸越銀座のクリーニング屋の女将と浮気して、それを知ったおばあちゃんが殴り込みに行き、町中大騒ぎになったとか、ならなかったとか。
おじいちゃんもそうだけど、おばあちゃんもすごかった。
「あのクリーニング屋の女がね……」なんて、まだ小さかった私にも、あけすけに恨み節を語る。そんなおばあちゃんの話を、私はいつも面白がってワクワクしながら聞いていたことを覚えている。
写真=平松市聖/文藝春秋
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梅宮さんの著書『フルコース』では、「勃たないのは、嫌なんだ」と語った梅宮辰夫さんの最期の様子や、ずっと一緒に生活してきた母・クラウディアさんへの本音、娘へのネグレクト報道の裏側など、赤裸々に書かれています。
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