開業してからは赤字続き

 開業時から電車が走る、いわゆる“電鉄”。だが、現実はそれほど甘くなく、開業前から慢性的な資金不足に悩まされることになる。建設にあたっては玉野市も援助をしたというから、なかなか厳しい船出だった。

 

 もちろん開業してからも赤字続き。結局、備南電気鉄道は1956年に玉野市に経営を移管し、玉野市直営の“市営電車”として再出発することになる。

 その後、なんとかお客を増やすべく、行楽地として知られた渋川海岸への延伸を目論んだ。が、これも先立つものがなければ叶わない。結局、玉~玉遊園地前間の1kmを延伸するに留まっている。

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 そんな赤字の市営電車なのだから、運転本数も少なかったのだろうか。と、思ったら玉遊園地前まで延伸した1960年以降は1日に37往復も走っていた。

 ざっと1時間に3本ほど。宇野から玉遊園地前までの所要時間は約14分だ。なかなか便利そうな電車ではなかろうか。

 それでも、モータリゼーションが普及して道路も整備されてしまえば、市の財政を圧迫し続けるだけの赤字電車はお払い箱になってしまう。

 

 そもそも、宇野駅から玉地区まで約4km。ムリして電車に乗らなくたって歩けばいいじゃない、という程度の距離だったことも、関係しているのかもしれない。

 そうして1972年春、玉野市営電気鉄道は廃止された。備南電気鉄道として開業してからたった19年で、地図から消えたのだ。いわば、“幻の玉野市電”である。