退職後の生活、趣味、将来のことなど会話は弾んだ。今にして思えば、あれは面接だったのだ。私が獲物としてふさわしいかどうか、静かに値踏みしていたのだろう。
数日後、愛子はLineでのやり取りを提案してきた。
「そのほうが、もっと気軽に話せますから」
あまりに自然な口実に、私は疑いもしなかった。その先に底なし沼が口を開けているとは、夢にも思わずに。
張られた罠
今、愛子とのLineのやり取りを読み返している。
もう自分の愚かさに反吐が出るばかりだ。しかし当時の私は、その一つ一つの言葉に心をからめ捕られていた。
2024年5月3日。この日が、私の運命を変えた。
私はどこかでまだ格好をつけたかった。過去の肩書にしがみつく、みっともない老人そのものだった。
大学院の後輩に付けられたあだ名は「インテリヤクザ」。自然と口角を上げ、得意げに披露していた。
愛子は、それを笑わなかった。むしろ、興味深そうに聞いてきた。
「面白いですね。でも、どうしてそう呼ばれるんですか?」
彼女は私を立て、内面を自然に引き出す。
そして、ごく自然に自分のことを語り始めた。
「私は山本愛子、37歳です。名古屋で生まれて、今は深圳でアパレルの会社を経営しています」
私は、宗教上の対立から離婚し、息子と娘とも離れて暮らす69歳の独り身だと返した。この情報が、彼女にどれほどの価値を持つかも知らずに。
翌日、愛子は自分の背景を少しずつ明かした。日本人の父と中国人の母と一緒に6歳で中国に渡り、今は日本へ帰る準備をしている、と。そして決定的な一言を放った。
「Facebookで髙倉さんの投稿を見て、興味を持ちました。私は縁を大切にする人間です。髙倉さんは、縁を信じますか?」