いま、有島武郎(たけお)と聞いて、どれだけの人が知っているだろうか。『カインの末裔』や『或る女』で知られる、明治末期から大正時代にかけて活躍した文豪。今から103年前の1923年6月、美貌で名が高かった雑誌記者・波多野秋子と軽井沢の別荘で心中した。武郎は満45歳で、満28歳だった秋子には夫がいた。

 遺体は約1カ月後に発見されたが、世間は賛否両論で沸騰し、大きな社会問題に。大正デモクラシーの時代の最後を象徴するスキャンダルとなった。それにしても、一体どうしてそれほどの騒ぎになったのか――。文中、当時の新聞記事などに現在では使われない「差別語」「不快用語」が登場する。記事などは見出しのみ原文のまま、本文は適宜、現代文に直して整理。敬称は省略する。中心人物は下の名前で表記。「有嶋」という表記も記事や資料にあるが、自筆のサインなどを根拠に見出し以外「有島」で統一する。(全5回の1回目)

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 有島武郎について、百科事典の記述を整理・補足すれば次のようになる。

 1878~1923。東京生まれの小説家。画家・有島生馬、作家・里見弴の兄で、父は薩摩藩出身、大蔵官僚で実業家の有島武。裕福な家庭で厳しく育てられた。札幌農学校を卒業後、アメリカに留学。キリスト教の洗礼を受けたが、アメリカの詩人ホイットマンに傾倒して社会主義に接近して信仰を離れた。

有島武郎 ©文藝春秋

 個性の尊重や人道主義を唱えた文芸雑誌「白樺」の創刊(1910年)に参加。キリスト教的倫理や思想の問題をリアリズムの手法で描く作風で、代表作に、自我にめざめつつ破滅していく1人の女性を描いた『或る女』、北海道の自然や社会に立ち向かう野性的な主人公の『カインの末裔』などがある。『惜みなく愛は奪ふ』などの評論、『一房の葡萄』などの童話も。

 1921年ごろから思想的に行き詰まり、所有農場の小作人の解放や財産の放棄を試みるなど、謹厳(きんげん)で真摯な人格者として知られた。

財産放棄について語る有島武郎(東京朝日)

 1923年6月7日付読売朝刊文芸欄の「よみうり抄」に「▽有島武郎氏 目下同氏著作集中の長編『星座』の第2巻目執筆中だ」という消息が載っている。実際の武郎はその翌日家を出て、翌々日にはこの世の人ではなくなっていた。