6月8日付同紙朝刊社会面には、明治の「お雇い外国人*」で哲学者・音楽家のラファエル・フォン・ケーベルの訃報が載っているが、文中にこうある。「永眠の報に接し、有島武郎、安倍能成、和辻哲郎氏ら門下生は続々として馳せつけ、静かだった(ロシア)領事館も時ならぬ雑踏を呈した」。十分確認をとらないまま書いた“幻の弔問”だったのだろう。
*お雇い外国人=幕末から明治時代にかけて、日本の近代化を進めるために、政府などが指導者や技術者として雇用した欧米人などの専門家
愛人女性と軽井沢で心中
実際の事件発覚は7月8日付朝刊で一斉に報じられた。当時「五大紙」と言われた各紙の見出しを見よう。
東京朝日(東朝)は「輕井澤(軽井沢)の別荘で有島武郎氏心中 愛人たる若い女性と 別荘階下の應(応)接室で縊死」。東京日日(東日)=現毎日=は「文士有島武郎氏 輕井澤で情死す 一ヶ月も經(経)て死體(体)は腐爛(乱)」。報知新聞(報知)は「精神的の悩みから六月頃漂然と家出」が脇見出し。
*縊死=首をくくって死ぬこと
國民新聞(國民)は主見出しを「有島武郎氏自殺す」とし、別項記事の小見出しに「洋装(誤り)の美人も共に」、脇見出しに「『財産抛(放)棄』から一家と衝突」を付けた。時事新報は「昨日来兄弟親類悉く集つて 麹町の邸は大混雑」が脇見出し。
各紙の見出しに共通していたのは「軽井沢」で、そこから既に一般社会の生活から懸け離れた印象を与えた。「五大紙」に入らない読売は対応が遅れ、社会面ベタ(1段見出し)で「有島武郎氏に似た死體」が見つかったと報じただけ。当時は公式な警察発表などはなく、どの新聞も親族や関係者らから情報を得て記事にしていた。
本文リード部分は現在の書き方に近い報知を見る。
作家として有名な有島武郎氏(46)が信州軽井沢の別荘で、若い女とともに縊死をとげていたのを7日朝、別荘番が発見。大騒ぎとなった。軽井沢署から係官が出張して検視したが、事件は絶対秘密に付されている。
昨夜、麹町区(現千代田区)下六番町10の自宅を訪問すると、近親の神尾(光臣)陸軍大将(武郎の亡妻の父で日露戦争や第一次世界大戦の青島攻略戦で有名)をはじめ実弟の生馬、里見弴氏らが集まってしきりに協議中。
後で発見は7月6日夕方だったと分かる。弟の生馬から話を聞きだし「女に心當(当)りあるが 今は名を云へ(言え)ぬ」の小見出しで報じたのは東日。家族関係などのおおよそが分かる。





