「それは学校側の都合ですよね」
私は、言葉を一つ飲み込んだ。
「もし触れずにいて、お嬢さんが階段から落ちていたら、大きな怪我につながった可能性があります」
「そんなの、触らずに済む方法があったはずです」
「たとえば、どういう方法でしょうか」
「女性の先生を呼ぶとか」
「授業中の緊急事態でした。お嬢さんご本人が、今すぐ保健室に行きたいと訴えておられたのです」
「だからって、怒鳴る必要はありませんよね」
「怒鳴ったわけではなく、転倒しそうになった場面で、とっさに声が大きくなったのだと思います」
「娘は『怒鳴られた』と感じたんです」
この瞬間、私はこの面談の難しさを理解した。
この件の争点は、行為が適切だったかどうかではない。
相手の中ではすでに、「娘がそう感じた」という一点が絶対的な事実になっている。
「娘は、体調が悪くて不安だったんです。そのときに男の先生に肩をつかまれて、大きな声で『しっかりしろ』なんて言われた。どれだけ怖かったと思っているんですか」
「お嬢さんが不安な思いをされたことは重く受け止めています。ただ一方で、現場は階段の途中でした。教員としては、まず転倒を防ぐことが最優先になります」
「それは学校側の都合ですよね」
私は一瞬、返答に詰まった。
安全確保が「学校側の都合」になるのか。だが、その理屈を正面から否定すれば、さらに感情は硬化するだけだろう。
「この子が苦痛を感じたときに、その気持ちを代弁してやれるのは、親しかいないんです」
母親はそう言った。私はその言葉の強さを感じた。
たしかに親は、子どもの最も近くにいる存在だ。
だが、その“代弁”が、事実の検証や相手の事情の理解を一切許さなくなったとき、対話は成立しなくなる。
面談はそこで終わらなかった。
私は何度も説明した。
◆◆◆
「娘が傷ついた事実がすべて」――そう主張し、一切の論理を受け付けない母親との面談は、ついに4時間を超える異常事態へ。
絶対に折れない保護者を前に、組織を守るため教頭が下した“苦渋の決断”とは。そして、生徒を救って“加害者”扱いされた若手教員にかけた言葉とは。後編では、理不尽な面談の結末と、教育現場を蝕む「どちらを選んでも詰む」病理に迫る。