遺体を細かく刻み⋯

 この後、切り刻まれ小さくなった遺体を一つ一つ油紙と新聞紙に包み、富美子が自転車で、母はバスで新荒川大橋に運搬。そのまま包みを放水路に投げ込んだ。

 運びきれず自宅に残していた包みも深夜に富美子が運び出し、今度は戸田橋から荒川に投棄。遺体を隠すのに使った柳行李は細かく壊し焼却した。

 翌5月10日午前11時ごろ、富美子は伊藤の勤務先である志村署を訪れ、「9日までの休暇届けを出していたが、実は主人は7日の晩に酔って帰宅し、私と口論になった後外出し、そのまま行方がわからなくなった」と告げる。

ADVERTISEMENT

 もちろん、殺人が発覚しないための偽装工作だ。が、前記したようにその1時間前に身元不明の胴体が発見されたことを彼女は知らなかった。

 さらに富美子は11日に伊藤の継母に伊藤が帰宅しないこと、実家に来ていないかを問う電報を送達。数日後、継母から、実家には戻っていないが、荒川でバラバラの死体が見つかり心配で食事も喉を通らないとの手紙が戻ってきた。

 富美子が内縁の夫を心配する妻を演じているなか、16日になりバラバラ遺体の身元が伊藤であることが判明。警察は当然のように彼女に事情を聞く。

完全犯罪が失敗した理由

 ただ、15日に頭部が発見され伊藤が被害者である可能性が浮上した時点で、警察は内密に富美子の捜査を進めていた。結果、夫婦仲が悪く喧嘩が絶えなかったことが明らかに。そして、遺体を包んでいた新聞紙も大きな手がかりとなった。

 使われていた新聞は毎日12枚、朝日6枚、読売2枚、東京1枚の計21枚。その中に朝日新聞大阪本社発行分が1枚混じっていた。発行日は1951年3月25日。

 富美子が伊藤と同棲するため上京する直前のものである。さらに、5月10日の夜中、パトロール中の警察官が大きな荷物を積み自転車を漕ぐ富美子の姿を目撃し、数分後に見かけた際には荷物がなくなっていたことを確認していた。

 こうした状況証拠から捜査本部は富美子を犯人と断定。

 16日夕方に赤羽署で取り調べたところ、最初こそ「私は教育者です。殺人など働くはずがありません」と毅然とした態度をとっていたものの、事情を把握し彼女への同情を示しながら真実を話すよう諭す警察に対して、17日になり「お手数をかけて申し訳ありません。私がやりました」と自供、そして逮捕。

 母のシカも同日に娘と同じ殺人・死体遺棄損壊容疑で逮捕された。