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完全犯罪はなぜ失敗した?
ただ、15日に頭部が発見され伊藤が被害者である可能性が浮上した時点で、警察は内密に富美子の捜査を進めていた。結果、夫婦仲が悪く喧嘩が絶えなかったことが明らかに。そして、遺体を包んでいた新聞紙も大きな手がかりとなった。
使われていた新聞は毎日12枚、朝日6枚、読売2枚、東京1枚の計21枚。その中に朝日新聞大阪本社発行分が1枚混じっていた。発行日は1951年3月25日。
富美子が伊藤と同棲するため上京する直前のものである。さらに、5月10日の夜中、パトロール中の警察官が大きな荷物を積み自転車を漕ぐ富美子の姿を目撃し、数分後に見かけた際には荷物がなくなっていたことを確認していた。
こうした状況証拠から捜査本部は富美子を犯人と断定。
16日夕方に赤羽署で取り調べたところ、最初こそ「私は教育者です。殺人など働くはずがありません」と毅然とした態度をとっていたものの、事情を把握し彼女への同情を示しながら真実を話すよう諭す警察に対して、17日になり「お手数をかけて申し訳ありません。私がやりました」と自供、そして逮捕。
母のシカも同日に娘と同じ殺人・死体遺棄損壊容疑で逮捕された。