また、同日に行われた家宅捜索では2階4畳間の押入のカーテンやタライなどから血痕が見つかった。

 取り調べが一段落したところで、富美子は次のように語ったそうだ。

「世間の人は私のことを異常性格と言うかもしれませんが、私は伊藤に対して心から詫びるつもりはありません。あのまま生活を続けていれば、どちらかが殺していたでしょう。私は夫を殺した瞬間、ホッとした気持ちでした」

ADVERTISEMENT

その後、2人は⋯

 1952年7月11日、東京地裁で開かれた初公判で富美子とシカは起訴事実を全面的に認めた。

写真はイメージ ©getty

 ただ、被告弁護人は「シカは富美子の言うとおりにするほかに道はなく、刑事責任は免れるべきだ」とシカの無罪を主張する。

 その後、自宅や新荒川大橋などの犯行現場の検証や、かつての居住地の大阪、実父の居住地の山形で出張公判が開かれるなどして、同年9月17日、検察は「反省が見られない」などとして富美子に無期懲役、シカに懲役3年の求刑。

 10月28日に下された判決は、富美子が懲役12年、シカが懲役1年6ヵ月だった。

 2人は控訴せず刑が確定。共に栃木女子刑務所に収監されたが、シカは1953年に尿毒症で獄中死。