「人違いだった」

 逮捕は事件から74日後の11月18日。

「人違いだった」と自供する古屋の言葉を誰もが嘘だと思った。が、やがて自供に間違いがないことが確認されると、検察は殺人・死体損壊、死体遺棄で起訴する。

 1956年2月21日、一審・浦和地裁(現・さいたま地裁)の判決は無期懲役。対して、検察側は罪が軽すぎるとして控訴する。というのも、古屋は逮捕後、被害者遺族の感情を逆なでする行為を働いていた。

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 犯行の経過を「バラバラ殺人事件の図」と題して7コママンガのような絵に仕立てて警察に提出。その表紙には「H・H」のサイン、ドクロ、骨、ナイフ、切り取られた足が描かれ、そこに加えて月光仮面に似たような格好の良い犯人を登場させていた。

 さらに、漫画には「夜、私が江梨子さんを追って行った図」「夜、私が江梨子さんの首を絞める図」「夜、私が江梨子さんをオカボ畑からかつぎ上げる図」と1コマ1コマにタイトルを付ける始末。ちなみに、古屋は刑確定後も残虐な絵を描き続け、被害者宅に送りつけたそうだ。

 迎えた東京高裁での控訴審。

 事件は1956年8月20日の最終尋問のときに起きる。