戦争は日常の中にあると気づいた
堀田 そこは俳句も同様です。たとえば小林一茶は有名ですが、近代俳句の写生や季題趣味と異なるので評価は一時的に落ちていました。ところが20世紀の終わり頃から評価がぐんぐん上がり、「一茶は近世に生きた俳人であるにもかかわらず、近代俳句の先駆けだ」などとも言われるようになっています。たとえば《雀の子そこのけそこのけお馬が通る》という有名な句がありますが、「雀の子」を「市民」、「お馬」を「権力者(が乗る馬)」と考えると、この句は格差社会を表現したものになるんですよね。
秋田 本当だ。雀の子を描いた可愛い句ではなくなるわけですね。
堀田 実は、私の俳句も、十数年前はけちょんけちょんに言われたんです。
秋田 そうなのですか!? たとえばどの句に対して?
堀田 句集『人類の午後』の最初の方に載せた句への批判はとくに凄まじかったんですよ。たとえば《息白く唄ふガス室までの距離》《片陰にゐて処刑台より見らる》などです。「重すぎる」とか「露悪的」とか。
これらの句を私が詠んだのは2009年頃なのですが、当時の若手の俳句はポップで軽妙な言葉遣いがもてはやされ、内容は二の次でした。さらに、俳句というのは自然の美しさ、日常の気づきを詠むもので、当事者以外は特別な災害や戦争、暴力、死体を詠むものではないと多くの俳人たちが思っていた。そういう時代には私の句は受け入れてもらえなかったんです。
秋田 季何さんの俳句には、生々しい言葉が突然出てきて、ときにゾクッとさせられる。『人類の午後』を初めて拝読したときには、確かに従来の俳句のイメージとは違うものを感じました。
堀田 ところが東日本大震災が起きて、多くの人の自然に対する見方が変わりました。自然は風雅なだけでなく、ときに人間も殺すのだとみんなが実感した。このとき多くの俳人が「美しいだけでない自然も詠まなければ」と思うようになったんです。
さらにコロナ禍で「俳句は日常を詠むものだ」という俳人の価値観が完全に崩れたんですよ。
秋田 何しろあのときは、非日常が日常になっていましたから。
堀田 そう。そして本当に悲しいことですが、トドメはウクライナ戦争勃発です。爆撃の様子やくずおれ泣き叫ぶ人々などを、私たちはテレビやネットでまざまざと目にした。戦争は日常の中にあり、実はいつだってそうだったのだとみんなが気付いた。それによって私の俳句への評価が変わったのです。



