朝、仕事を始めても意識のどこかで時間の経過を測っている。
30分をメドにして、いったん仕事に区切りをつける。まだ終わっていない作業があっても、だ。以前なら考えられない行動だった。
休憩も時間どおりたっぷりとる。そして、退庁時間の5時が近くなると、15分前には片付けを始めて帰る準備に取りかかる。周囲から見れば、どこか落ち着きのない動きに映るだろう。昔の私だったら、「手抜きだ」と憤慨したかもしれない。
それでも私は構わない。気分が落ちる前、疲れが溜まる前に、先回りしてブレーキを踏む。それが今の自分に許された、唯一の働き方なのだ。
仕事に追われ、昼休みも取らず、終業後も机にかじりついていた日々。あのころはそれが正しいと思っていた。だが、その先に待っていたのはうつ病と、それにともなう長くつらい休職だった。
「働けるだけでありがたい」
私はあえて手を抜く。T税務署時代、よく愚痴を言い合った脇田さんの言葉がよみがえる。
「全部まともに受け止めとったら身ぃもたんで。適当に力抜いてやらんと」
そのときは聞き流していたが、今思えば、金言だった。正確には「抜く」というより「残す」。明日に回せるものは回し、無理に詰め込まない。全身全霊で働かないことを自分に課すようになった。
そして、体調が少しでも崩れたと感じたら、迷わず休暇を取る。それもまた、以前の自分にはなかった選択だ。多少の不調なら押してでも出勤する、それが責任だと思っていた。しかし、今は違う。無理を重ねて、再び長期の休みに入ることのほうがよほど大きな損失になると、身をもって知っている。
「働けるだけでありがたい」――この言葉はきれいごとではなかった。机に向かい、仕事ができる。それが今の私には以前よりもずっと重みを持って感じられる。