「人によっては酷い訊問を受けたみたいですが……」

 終戦前、米本土のマッコイキャンプなどに収容された日本人捕虜たち。そこでは酒巻和男らのリーダーシップのもと、捕虜同士の争いを防ぎながら、手作りの麻雀や野球、さらには正月の大宴会まで行われていた。

 監視つきの外出で出くわしたアメリカ市民の反応、そして過酷な現実と表裏一体だった「何不自由ない暮らし」の真実とは? ジャーナリストの神立尚紀氏の新刊『ドキュメント 軍人たちの戦後』(小学館)より一部抜粋してお届けする。(全3回の3回目/最初から読む

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写真はイメージ ©getty

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捕虜同士が揉める「階級問題」

 収容所のなかでも軍隊での階級による序列はそのままである。捕虜どうしが揉める最大の要因は、戦争が始まってから進級が早まったため、先に捕虜になった者よりも、あとから来た者のほうが、たとえ軍での年次が若くても上官になっていることだった。

 特に1937(昭和12)年前後に軍に入って大戦初期に捕虜になった者は「兵」の階級のままなのに、やがて2年も3年もあとに軍に入った者が「下士官」として収容されてくるようになる。身分を偽り士官として収容されたのが周囲の捕虜たちにバレて袋叩きになる者もいた。

 酒巻は、「私も少尉のままだが、自分が指導したかもしれない後輩が中尉で来ている。少尉は少尉、中尉は中尉だから私は敬礼する。公務の場合は階級に従うが、同時に私生活に属するような場合は互いの人格や年齢を尊重すべきである」ということを粘り強く言い聞かせた。

 マッコイで酒巻と一緒になった中島三教の話に戻る。