正月にはビールで宴会
「人によっては酷い訊問を受けたみたいですが……。アメリカ本土に行ってからは待遇はよかったですな。肉やスープも出るし、週に一度は米の飯も出ました。
捕虜取り扱いに関する国際条約で、食事も給料もアメリカ兵の最低以下にしてはならん、となっていたらしいです。給料は現金ではなくクーポンで支給され、月に何度かはビールの券まで出る。豊田さんや酒巻さんが中心になってみんなの券を集めておいて、なにかの記念日には宴会をやろうと。正月や四大節(四方拝・紀元節・天長節・明治節)など、なかなか派手にやってたですよ。私も、豊田さんと一緒に劇をやった憶えがあります」
捕虜には労働が課せられるが、マッコイキャンプでは、日本軍の風船爆弾への対策として、防火施設のための道路をつくる作業に駆り出されたという。
「風船爆弾はうまいこと考えたもんですな。風に乗って飛んできて山火事を起こしたり、どこに落ちるかわからんから、米軍もだいぶ気味悪がってるみたいでした。道路作業をしながら、もっと焼いてやれ、と思ったりして。准士官以上は監督ですから、肉体労働はありませんが」
捕虜にはさまざまな前職の者がいるので、たいていのものは自分たちで作ることができた。手製の花札、麻雀牌、将棋の駒、碁石。野球のバットにグラブ、コルクの芯に毛糸を巻き、それを牛革でくるんだ本格的な硬球……靴職人だった兵隊もいて、革靴まで器用に作ってしまう。
それでも足りないものは、労働で得た給与で買うこともできた。


