2012年を最後に日本一を果たしていない
5月に入ると、引き分けを挟み10連勝を記録。そのまま交流戦初優勝、リーグ、日本シリーズともに優勝。この年、自身初の首位打者と打点王の2冠に輝いた阿部前監督は、リーグ優勝を決めた翌日のスポーツ報知に、「橋上戦略コーチの影響も大きかった」「ストライクを見逃す勇気を持てるようになった」と手記を寄せている。ちなみに、橋上代行がこの作戦を行った12年を最後に、今も巨人軍は日本一を果たしていない。
大阪や札幌など選手の外食希望が多い遠征先では、ホテルに夕食会場が設けられない日もある。そんな夕暮れ、松尾氏が私に「夕食ご一緒しませんか」と電話をかけてくる。
焼き肉を囲んだ日のこと。「今頃、清武さん何をしているか知ってますか?」、「なんで新聞社の人は、あそこまで清武さんのことを悪く言うのでしょうか」。松尾氏は、清武元代表の「残り香」を、同じ社会部出身の私から嗅ぎたかったのかもしれない。懐かしそうに彼の話をたびたび口にした。とても会いたかったのだろう。
試合直前の、橋上代行が用意するスケッチブック話を教えてくれたのも、元気だった頃の松尾氏だった。遠征先の球場で選手の食べ残したパンをつまんでいた私に、「鈴木部長、この橋上コーチの列を見てください。清武さんが残していった遺産ですよ」と。スケッチブックに何が書いてあるのかも、そっと話してくれた。その笑顔が、実に爽やかだった。
肺がんで闘病していた弟の存在
『記者は天国に行けない 反骨のジャーナリズム戦記』を読み、巨人軍の現在に至る道程を振り返った。ふと清武元代表が背負うものが何なのか気になった。そのひとつは、松尾氏より1歳年上の末弟、清武清氏の存在だろう。
東京の大学を卒業後、故郷宮崎で映像プロデューサーとして活躍していた。「強い兄。質実剛健。正義の為なら絶対に信念を曲げない」。兄のことをこう日記に記している。その兄がどうして球団を追われなければならなかったのか。弟には合点がいかなかった。フェイスブックでたくさんの宮崎などの仲間たちに、兄の奮闘ぶりを紹介し、応援した。
「またまた兄貴が本を出しました。権力が嫌いな人や闘争心の強い人はどうぞ」(12年12月)。「来週発売の兄の新作です。気になったら、読んでやってください」(13年11月)。「兄の本がドラマになります。9月からオンエアです」(15年7月)。
まるで兄の「宣伝マン」だ。急な解任で収入を失った兄のことを心配したのだろう。文藝春秋の連載「記者は天国に行けない」を楽しみにしていた。
だが、ある日を境に弟の記述が、フェイスブックから闘病日記へ変わる。突然の肺がん(ステージ4)を宣告された。
今度は弟を兄が励ました。「俺たちが後ろについている。困ったことがあれば相談しろ」。兄からのメールに「心強くて暖かくて、あらためて家族の絆を感じ、元気がでた。一人ではないんだから」(22年7月)