「(病院の売店で)文藝春秋が目に留まったので開いてみた。兄の名を見つけるとうれしくなった。立ち読みしているとなりのインテリ風のおじさんに『これ兄なんです』といいたい気分」(同)。離れていても東京でがんばる兄の活躍に、弟がどれほど元気をもらっていたか、も記されている。
目が見えず、妻の口述筆記に
兄から高級牛肉が届く。「お前が少しでも元気になれば、俺たちもそれだけ元気になれる」、「焦らずにな。これはお前に与えられた苦しいが貴重な休み時間かもしれん。じっくりいこう」のメモが付いていた。「兄の短い言葉は心を強く打つ。なぜだろう。元気をくれる。70を過ぎて一線で戦い続けるジャーナリストの魂なのだろう。涙がポロポロとこぼれてきた。病と闘って勝つことしか道はないのだ」(22年8月)。弟は強かった。
だが入院先で、コロナ感染後に目が不自由になる。24年1月、兄が「記者は天国に行けない」の連載で文藝春秋読者賞を獲った。受賞のことばで兄は田中角栄の金脈問題追及で知られる児玉隆也氏が死の直前に書いた著書『ガン病棟の九十九日』を紹介している。死への恐怖も、生きることへの希望も、時には妻へのユーモアを交えながら冷静に書き切った作品だ。
兄は弟に言ったことがある。「お前もあんなものを書き残して逝けよ」。非情なことと思っても、「自分の最期を書き続けることで、小さな希望を持ってほしかった」という。
弟は書き始めたが、やがて目が完全に見えなくなった。自らペンは握れない。それを妻が助けた。
11月23日、勤労感謝の日。ここから口述筆記、妻の文字になる。「今は何もできない状態なのがちょっとさみしい。またいつか形を変えて何か世の中に貢献できることがあるといいなと思って、朝食を食べた」。
「このまま目が見えなくなってしまっても、それはそれで前向きに生きていかないと皆に申し訳ないなと思う一日だった」(22年11月)。この記述の1か月半後、弟は旅立った。題名「Like a Rolling Stone ~ゆっくりとていねいに転げ続ける日々のなかで~」の闘病日記を残して。あの熱血マネージャーこと松尾英治が亡くなったのと同じ23年1月。1歳違いの59歳の若さだった。
病室の亡骸の脇で、締め切りに追われた兄は原稿を書き続けた。「稚拙だが冷静で、もう一日、あと一日と希望に満ちている」。弟の192日間の闘いの迫力に、兄は泣きながら自分の再生の気持ちを再び奮い立たせた、という。
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リベンジにかけた男たちのドラマは実にせつない。だが闘いは終わっていない。これからだ。いろいろな人たちの思いを背負って闘う男たち。その背中をそっと押したくなる。
