「効く薬があるなら行こう」わらにもすがる思いで転院、群馬と東京を往復する生活

――その後、東京の国立がん研究センターに転院したそうですね。

佑太 「もう手の施しようがない」と言われても、子どもの命を諦められないじゃないですか。だから、群馬県立小児医療センターの先生に「治したいです。どうしたらいいんですか?」と聞いたんです。そうしたら、「国立がん研究センターで、セカンドオピニオンを受けることもできます」という案を提示されました。

 この病院では、承認薬だけじゃなくて治験薬が使えるということでした。1個目の治験薬が「6割効く」と言われて。わらにもすがる思いで「効く薬があるなら行こう」って。

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麻純 その話を聞いて、転院を悩むことなく決めたよね。

――2019年4月に国立がん研究センターに転院した後、どのような体制で付き添いをされていたんですか。

佑太 私は会社の勤務を、週4日の10時間労働に変えてもらったんです。なので、金曜日の朝に群馬から東京の病院に向かって、金・土・日と私が付き添う。日曜の夜ぐらいに妻が来て交代し、私は夜行バスで帰ってそのまま仕事に向かう、という生活でした。

 それでも「このまま働き続けるのは難しい」と思って、2019年8月頃に介護休業を取りました。一馬に付き添うために会社の社長に相談したところ、「介護休業制度があるよ」と教えていただき、休業中も給料の6割ほどが支給されました。おかげで、一馬の最期の3か月間は仕事を休み、付き添うことができました。

麻純 私はすでに仕事を辞めていたので、月曜から金曜まで東京の病院で付き添って、週末に自宅の群馬に帰る生活です。お互い群馬と東京をずっと往復し続けました。

 

できる限りの治験薬を試したが、毎回「ダメでした」と…

――国立がん研究センターでは、さまざまな治験薬を試したそうですね。

佑太 東京での治療が始まり、治験薬は全部で4種類ほど使いました。一番効く可能性が高いものから順番に試していき、2週間ごとの面談では、1回もいい報告がなかったです。できる限りの治験薬を試しましたが、毎回「ダメでした」と言われて。そのたびに、わずかな望みを打ち砕かれるような気持ちでした。

――付き添い生活の中で、心の支えになっていたものはありましたか。

佑太 一番心の支えになったのは、同じ病棟で付き添っているパパやママたちの存在です。やっぱり、親友にも自分の親にも、詳しいことは話せない。

 きっとわかってもらえないだろうし、相手も「可哀想に」とか「頑張ってね」という反応しかできないだろうなって。相手を苦しめちゃうかなとも思ったんです。だから一番わかってくれるのは、同じ病棟のパパやママたちでした。