実は付き添いって、大半がママです。だから、数少ないパパ同士で、励まし合いました。付き添いに来ているパパたちは「絶対うまくいくから」ってすごいポジティブで。

 国立がん研究センターは、「最後の砦」として全国から患者が来る病院なので、やっぱりみんな、いい状況ではないことが多い。だから、余計にその明るさに救われました。 

麻純 それ以外にも、夜の面会が終わる時間帯に、親が離れるのは子どもが寂しがるだろうからって、ボランティアさんが来て、子どもとプレイルームで遊んでくれたんです。

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 普段は社会人や学生をされているお兄さん、お姉さんたちで、一馬とよく遊んでくれました。あのボランティアさんたちの存在に、私たちは本当に救われました。

 

「歩くのがしんどくなって、車椅子に」悪化していく一馬くんの身体の状態

――希望を持って臨んだ東京での治療ですが、一馬くんの体調はどのように変化していったのでしょうか。

佑太 群馬にいた時は普通に歩いてたんですけど、東京に行って1個目、2個目の治験薬を使い始めたぐらいで歩くのがしんどくなって、車椅子になりました。

 点滴が外れている間は、歩くリハビリをしていましたが、それもできないほど状態が悪化していきました。痛みが強くて、モルヒネも結構早い段階から使い始めて……。

 あまりにも痛いから、私はサンドバッグのようになって、引っかかれたり殴られたりしたこともありました。

麻純 強い薬を入れたので、本人も痛くて苦しくて、気持ちが不安定になっていったんだと思います。

――過酷な状況の中で、妹の優里南ちゃんが一馬くんの救いだったと聞きました。

佑太 妹の優里南は、当時2歳でした。とにかくおしゃべりで、どこにいてもおどける彼女がいてくれるだけで、すごく場が明るくなるんです。あれはちょうど、一馬の4つの治験薬が全部効かなくて、7回行った放射線治療を始めた頃でした。

 2019年の7月頃、病院の一番奥の個室をうちの家族が使わせてもらえることになったんです。その個室の中で、一馬に優里南をひさしぶりに会わせることができて、やっと家族全員で過ごせました。 

 その前の週には、立つことも難しかったのに、優里南を連れて行った時には「パパ、歩けないけど、立てるようになったよ」って一馬が言うんです。

麻純 それで、車いすを使わないで立ったんです。その後、優里南と手をつないで、廊下を歩けました。妹の前だったから、「お兄ちゃん」でいたいんだなって。お兄ちゃんでいたいから、生きる力とか元気が出てくるんだなって思いました。

佑太 うん、「兄妹の力はすごいな」と思ったよね。一馬と優里南は、誕生日が一緒なんです。まるで歳の違う双子みたいな、お互いをわかり合っているところがありました。

撮影=石川啓次/文藝春秋

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