副主治医が泣きながら「治してあげられなくてごめんなさい」と…
――その後、全ての治療が効かなくなり、2019年7月に国立がん研究センターで、「根治を目指して使える薬はどれも効かなかった」と言われたそうですね。
佑太 主治医たちとの面談に呼ばれました。そこで「お父さんお母さんが思うような新しい治療法は見つかりません」と。
アメリカで行われている先進医療のCAR-T細胞療法についても聞きましたが、「順番待ちですし、まず選ばれません。もし使えたとしても、重い副反応で、全身の皮膚や消化器官がただれるような苦しい痛みの中で亡くなっていく場合があります。それでもやりたいですか?」と言われました。
麻純 「とにかく一馬が治るというところに賭けたいから、できる限りのことは何でもやりたい」と伝えました。でも、また2日後に副主治医との面談が組まれたんです。 50代の副主治医は、子どものいるママでもあり、すごく親身になってくれていた方です。
佑太 その面談で、副主治医が泣きながら「一馬くんを治してあげられなくてごめんなさい」って言ったんです。その場で私も麻純も、声にならない声を出して泣きました。後ろで看護師さんも泣いてて。
それまではどんなことをしてでも治るって信じてたけど、その時に本当に、「ああ、一馬は死んじゃうんだ」って。初めてそう思いました。しばらく面談室を貸してもらい、二人で泣きはらした後、この病院を後にすることを決めました。
「やっぱり子どもの命を諦めきれない」自宅での看取りを決めるまでの葛藤
――2019年10月に、一馬くんを自宅で看取ることを決断されたそうですが、それまでどのような葛藤がありましたか。
佑太 あれは国立がん研究センターに転院して1か月ほど経った時のことです。僕はあるネットニュースで「自宅で子どもを看取った」という記事を読んだんです。確か、一馬と同じ4歳くらいの女の子でした。
女の子の「お家に帰りたい」という願いを叶えるために、自宅でも医療が受けられるように訪問看護や先生の往診を手配し、様々な人に協力してもらって成り立っていた、という内容でした。
僕は作業療法士として病院や施設、在宅での看取りの経験もあったので、「家で看取る方が本人も家族も幸せなんだな」と、実体験として感じていました。
でも、いざ自分たちの子どものこととして考えた時に、とても自分には決断できそうにない、と思いました。妻と「この選択ができるお父さんお母さんは、すごいよね」と話をしました。
お家で最期を迎える方が幸せだとは分かっていても、やっぱり子どもの命を諦めきれない。病気が治る方法を見つけたい。当時はそう思っていたのを覚えています。
――その後、群馬県立小児医療センターに再転院されました。そこで、主治医に紹介された緩和ケア医の萬田緑平先生の診療所(萬田診療所)に、夫婦二人で話を聞きに行ったそうですね。



