昭和20年秋、群馬県の田舎村で発覚した「連れ子殺人・人肉食事件」。空腹の果てに17歳の義娘・トラを殺害し、鍋で煮込んで子供たちに食べさせた32歳の継母・龍。

 飽食の現代から見ればあまりにショッキングな事件だが、戦中戦後の極限状態を生きた村人たちの反応は意外なものだった。なぜ一家は村から追放されなかったのか? そして事件後、家族はどうなったのか――。

 ノンフィクション作家の八木澤高明氏の文庫新刊『殺め家』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目)

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写真はイメージ ©getty

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厳しい生活

 ひとつ屋根の下に朝吉夫婦、龍の長女、トラ、朝吉と龍の間にできた2人の子供の6人が暮らしていた。

 朝吉は土地を持たない日雇い労働者で、一家の生活は傍から見ていても厳しかった。朝吉一家の近所に暮らしていた春治さんが言う。

「今はゲートボール場になっているところに、朝吉さんの家があったんだ。家なんて呼べるもんではなくて、小屋みたいなもんだったけどな。それだって、自分で建てることができないで、村の人が建てたって聞いてるよ。

 どこの家も戦争中は作ったイモでもなんでも供出しなければならなかったから、生活は厳しかったけど、土地が無かった朝吉さんのところは、大変だったと思うよ」