「女性の尊厳を無視するあなたに決別を」
私は折々我が身の不幸をはかなんで死を考えたこともありました。しかし、私は出来得るかぎり苦悩と憂愁を抑えて今日まで参りました。この不遇なる運命を慰めるものはただ歌と詩のみでありました。愛なき結婚が生んだ不遇と、この不遇から受けた痛手のために、私の生涯はしょせん暗い帳の中に終わるものだとあきらめたこともありました。しかし、幸いにして私には一人の愛する人が与えられ、そして私はその愛によって今復活しようとしているのであります。このままにしておいては、あなたに対して罪ならぬ罪を犯すことになることを恐れています。
もはや今日は私の良心の命ずるままに、不自然なる既往の生活を根本的に改造すべき時期に臨みました。すなわち虚偽を去り真実に就くの時が参りました。よって、この手紙により私は金力をもって、女性の人格的尊厳を無視するあなたに永久の訣(決)別を告げます。私は私の個性の自由と尊貴を守り、かつつちかうためにあなたのもとを離れます。長い間、私をご養育くだされたご配慮に対しては厚くお礼を申し上げます。
二伸 私の宝石類を書留郵便で返送致します。衣類などは照山支配人への手紙に同封しました。目録通り、全てそれぞれに分け与えてくださいまし。私の実印はお送り致しませんが、もし私の名義になっているものがありましたら、その名義変更のためにはいつでも捺印致します。
燁子
十月二十一日
伊藤傳右衛門様(※現代仮名遣いにしたのと句読点以外は原文のまま)
俗に言う「妻から夫への三下り半」自体が珍しかった時代。夫婦とも著名人で、これほどはっきり夫を否定した文章は稀有だろう。
この手紙が紙面に載るについては裏話がある。「赤銅御殿の白蓮脱走」によると、当初東朝は事件を10月21日付朝刊に掲載するつもりだった。ところが、龍介ら「新人会」側から「待った」がかかった。「傳右衛門は帰郷途中、妾に経営させている京都の料亭に寄る。そこでこの新聞が出たらすぐ東京に引き返してくる。掲載を1日延ばしてほしい。代わりに白蓮から傳右衛門に宛てた手紙を提供する」ということだった。悩んだすえに受け入れたという。



