行員全員が乾杯するように毒を飲んだイキサツ
青酸加里の味はウイスキイみたいなものです。強い濃いウイスキイですね、喉が焼けつくような、そんな味です。だけどただそれだけなんです。苦しくもなんともないボーとしちまう、もう後は何も判らないんです。死ぬことって安外楽なのですね。死ぬなんてなんだか簡単すぎて頼りない感じで。
だけど助かってからは苦しみました。吐いて、うなってそれは苦しんだんです。矢張り生きるほうが死ぬより苦しいということですね。
青酸加里を飲んだイキサツは、新聞の通りなんです。結局皆で信用しちまって、皆で一緒に飲んだんです。誰でもそうだろうと思うんですが、職場の人が一斉に集って何かやる。次の瞬間自分も含めてその人たちが全部死ぬなんて、それもその職場の中で。いつもの通り柱時計は時を刻んでいるのですし、表通りを行く人の下駄の音も聞えてくるわけですからね、それが全部死ぬなんてとても考えられません。ですから、支店長代理を先頭にまるで乾杯するようにして飲んでしまったわけです。
「近くで赤痢患者が出た。だから大消毒をやる」
それにしても犯人は落着いていました。落着いているというより、独得の落着きをもっているという方が正確です。お医者さんの持っているあの落着きですね。よく子供の病気の時など、往診で来て頂くと誰でも感じるでしょう。あの落着きです。こちらの興奮をたしなめるような、幾分おっかぶせるような独得の雰囲気。ちょっと冷いような、大袈裟過ぎるけれど一種荘厳な、そんな雰囲気、それがあったんです。だから支店長代理も皆さんも全部信用したんです。
死んだ方のことはいいたくないんですが、中には疑い深い人だって、なかなかのウルサ方だっていたんです。鋭い人、考え深い人もいました。それなのに、皆さんが皆さんとも信用したんですから、犯人はやはりお医者さんじゃなかったんでしょうか。
犯人が私たちに薬を飲ませる前、約10分ぐらい吉田支店長代理は、犯人と話をしていました。犯人の口実は銀行に取引のある人の家から赤痢患者が出た。だから大消毒をやる。ポート中尉とかいう進駐軍の人が、いま消毒班を連れてくる、自分は一足先に行くようにいわれてきたのだというのです。
実際犯人のいう通り銀行からほど近い所に相田小太郎という得意があり、その朝、赤痢患者が出ているのです。それにしても、もう進駐軍が知って消毒にくるというのは早過ぎるというので、吉田さんがこの点を追及しますと、犯人は、患者をみた医者が直接進駐軍に知らせたんだ、と返事をしたそうです。
とにかくこんな調子で10分近く吉田さんは話をしているんです。決して一方的に、無条件に犯人に命令されて薬を飲んだのではなくて、一応疑って色々聞いて、そして納得して飲むことになったというのが、真相なんです。