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連載昭和の35大事件

なぜ行員たちは乾杯するように毒を飲んでしまったのか――生存者が語った"帝銀事件"の悪夢

「平沢は犯人と思えません」

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, メディア

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犯人自らも飲み干した、茶碗に注がれた"第一薬"

 私が自分の席を立って薬を飲みに行った時は、大半の人が犯人を扇のカナメにして半円型の形になって集っていました。私は犯人と向い合う位置で、阿久沢さんは犯人の右側、田中さんが左側、吉田支店長代理は、犯人と並ぶような恰好になったのです。

 犯人と私たちの間にある机の上には、私たちの茶碗全部をのせたお盆がおかれ、茶碗の中には、すでに毒薬が入っていました。犯人の手もとには、銀行が出したお茶の茶碗がおかれ、この茶碗の中にも薬が注がれていたわけなのです。

 田中徳和さんの証言によると、犯人は暗紫色の小さな薬ビンから、途中にふくらみのあるスポイトで16個の茶碗に薬を注ぎ、自分の茶碗にも同じように薬をいれているわけです。

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 集った人たちは、DDTでも頭からかけられるのかな、といった不安をもっていました。髪の毛も白くなるし、困った事ね、などと話している人もいました。

 そのうち、「いや、あの薬を飲めばいいんだとさ」という人や、「赤痢の予防薬なんて、初めてだね」という人も現れ、とにかくコチョコチョ、がやがやという情況だったのです。

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とにかくゴクリと喉仏の所が動いたのを、確かに私はみた

 この間犯人はボツボツと席を立って、集ってくる人たちを眺めながら待っていました。別段緊張した様子もなく悠々と落ち着いたものでした。16人集った時、犯人は「これで全部ですか」と吉田さんに質ね、「ええ、これで全部です」という吉田さんの答に、一わたり皆の顔を見渡してから、説明を始めました。

 説明といっても、これは赤痢の薬だとか進駐軍の薬だとかいう説明は、私たちにはしないのです。後から判ったことですが、それは吉田さんにだけ話しているのです。

「この薬には第一薬と第二薬があって、第一薬を飲んでから、1分間以内に第二薬を飲まないと、効果がない。第二薬をわける都合上第一薬は一斉に飲んで、茶碗を又ここにおいてもらいたい。この薬は非常に強い薬で、歯にふれると、ホーロー質を傷めるから、舌をこう丸めて」と犯人はいいながら、舌を前の下の歯と下くちびるの間にはさみ、口をあけてみせながら自分の前の茶碗をとり、薬をのどの奥の方へ注ぎこむようにして飲んでみせました。

 私たちは皆犯人の口元を注視していたわけです。私も阿久沢さんも、マジマジとそれをみつめていたわけです。確かに、犯人は茶碗の中の液体を、飲みほしました。ゴクンと喉がなるというんですか、音まではとにかくゴクリと喉仏の所が動いたのを、確かに私はみたのです。そして、田中さんの証言によるとその液体は私たちのと同じ毒液だったわけなのです。」