――「心・技・体」を見つめていって……その「心」の部分で、振り飛車を捨てられなかったということでしょうか?
「そうですね。『振り飛車だから負けた』と思ってしまった時もありました。でも今は、今回もタイトル失冠はしましたけど、振り飛車だから負けたとは思っていなくて」
――仮に……仮に、ですよ? 将棋という高い高い山の頂に到達して、そこにある最後の扉の前に立った時に……。
「はい」
――そもそも振り飛車というのが、その鍵ではなかったことがわかってしまったら……?
「わかってしまったら…………悲しいですねぇ(笑)。
その時はまた考えますけど……たぶん、最後まで振り飛車でやってると思います」
2手目3四歩を絶対に指さない居飛車党の天才
王将失冠からわずか2週間後の、2019年3月11日。
日本全国の注目が関西将棋会館5階「御上段の間」に集まっていた。
上座に座る久保の前に現れたのは、2手目3四歩を絶対に指さない居飛車党の天才――藤井聡太七段。
当時、藤井は7連勝中。その中には渡辺を決勝戦で屠った朝日杯オープン連覇の星も含まれていた。
仮に藤井がここで久保に勝てば、中原誠十六世名人が打ち立てた歴代最高勝率を約半世紀ぶりに更新する可能性は限りなく大きくなる。
逆に負ければ、その可能性は消滅する。
詰めかけた報道陣は当然、半世紀に一度のビッグニュースを求めていた。
つまり、久保の敗北を。
「さばきのアーティスト」は盤上に芸術を描いた
逆風の中、初手合の藤井を相手に久保が採用した戦法は、もちろん振り飛車だった。
しかも振り飛車の中でも、将棋ファンに最も親しまれている「ノーマル四間飛車」。
誰もが驚愕した。
それは、将棋を指す者が最初に手にする武器。ゲームなら初期装備だ。
居飛車側の戦法の発展によりプロの世界では絶滅寸前まで追い詰められたこともあるそのノーマル四間飛車を……少年の頃に掴んだ最初の武器を、久保はずっと大切に持ち続けてきた。
そしてコンピュータの力すら借りてチューンナップした最新最強の武器を手にする若き天才に対して、久保はその四間飛車で立ち向かったのだ。
磨き上げた己の心と技と、そして機械の力を借りず文字通り生身の指先だけを信じて鍛え続けた振り飛車で、「さばきのアーティスト」は盤上に芸術を描いた。
勝利という名の芸術を。
無限の可能性があることを証明してくれた
天才少年の歴代最高勝率更新という快挙を見られず、世間の人々は落胆したかもしれない。
しかしそれらの人々もきっと、将棋を指すようになれば……この日の久保の振り飛車に、夢と、そして勇気を与えられるに違いない。
なぜなら私たちがすぐにでも指せる普通の四間飛車に、無限の可能性があることを証明してくれたのだから。