今から3年以上前の、2016年2月27日。私は東京・千駄ヶ谷にある将棋会館にいた。
この日はA級順位戦最終局――通称「将棋界の一番長い日」。
大盤解説会場となる2階の道場には早くから整理券を求める人々が列を成し、開場前にもう満席となるほどだった。その列に、私も並んでいた。
何度も形勢が入れ替わる激戦となった
人々の注目は二つ。
一つは、A級初参戦の佐藤天彦が名人挑戦を決めるかどうか。
そしてもう一つは……誰が降級するか、である。
2名の降級者のうち、1人は郷田真隆王将(当時)に決まった。タイトル保持者のA級陥落に、解説会場では溜め息が漏れた。
残る降級は1人。
順位戦で無類の強さを発揮し、永世名人の資格を有する森内俊之か。それとも関西所属棋士として、そして振り飛車党として唯一A級の地位を守る「さばきのアーティスト」久保利明か。
戦いは、何度も形勢が入れ替わる激戦となった。
「鉄板流」とも称される森内の緻密にして強靱な受けを前に、久保も「さばきのアーティスト」の裏の顔である「粘りのアーティスト」へと変貌。日付が変わってもまだ戦いは終わらない。
8六銀という、詰めろ逃れの詰めろがある……!
時刻は午前1時を過ぎている。終電はとっくに詰んだ。
しかし解説会場から人が消えることはない。
それどころか次から次へと立ち見客が増える。誰もが結末を見届けようと、一言も漏らさずに大盤を注視している。
久保か、それとも森内か。
解説会場では、久保に勝機があるとされていた。8六銀という、詰めろ逃れの詰めろがある……!
久保の終盤力は、A級棋士の中でも図抜けていると言っていい。あの羽生善治の寄せに対して、3連続限定合駒を読み切って勝利した「トリプルルッツ」は伝説だ。
そして久保は銀を掴む。勝利への、唯一の鍵を。
しかしその銀を打ち付けた場所は……1マス隣だった。まさかの9六銀。
その瞬間、A級で順位3位だった久保の陥落が決まった。
1年間かけて高い高い山をよじ登り、頂上に手をかけたにも関わらず……指をひっかける場所が1センチずれていただけで、一番下まで真っ逆さまに滑落したのだ。
終局直後、久保は感想戦で真っ先に、銀を8六に動かした……。
ただそこにいるだけで精根尽き果てる
大盤解説会が終わった後、私は呆然としながら代々木の居酒屋まで歩いたのを憶えている。翌日は、何をする気も起きなかった。「一番長い日」の将棋会館は、それほど特殊な空間だった……ただそこにいるだけで精根尽き果てるほどに。
しかし私はその後、衝撃の事実を知る。
何と久保は、敗戦の翌日から将棋の研究を再開していたというのだ。
いや、終局は日付を跨いでいたのだから、その日のうちにもう、将棋盤に向かって新たな闘いの準備を始めていたのだ。
観戦していただけの私ですら疲れ果てていたというのに……あれほどの激闘の後で、あれほど苦しい敗戦の後で、なぜ久保はすぐにまた歩き始めることができたのか?
今回のインタビューでは、まずそのことを尋ねた。
「そうですね……今でも憶えていますけど、次の日に。対局直後は『あんまり将棋のこととか、考えたくないのかな?』と思ったんですけど……気がついたら盤の前にいて、研究していました。
我ながら『すごいな』と思いましたけど(笑)」