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連載昭和の35大事件

スターリン信頼の幹部による謎の亡命事件――リュシコフ大将は本当にソ連を裏切ったのか

「反ソ反共にもなるんですか?」で一変した表情

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, メディア, 国際

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スターリンが「代理」を任せるほど信頼していた存在

 リュシコフは極東に赴任する時2回もクレムリンでスターリンと会っている。1回はモロトフ首相、エジョフ内相、ウォロシーロフ国防相立会いの下でスターリンから極東長官として任務にかんする公式指令を受け、次にはスターリンとただ2人で極東における政府、党、軍関係要人の粛清についでの秘密の指令を受けた旨、日本において当時の側近者に語っている。

 その秘密指令の中には着任と同時に、極東長官の前任者バリツキーを直ちに逮捕してモスクワに護送することや、極東空軍兵団長ラーピンの粛清その他が含まれていたらしい。これらは時を移さず直ちに実行に移された。かれが脱出の際所持した重要書類の中には、ラーピン空軍兵団長が獄中でその無実をうったえて血書した訴願状一通もふくまれていた。

 だから彼はスターリンに非常に信任され、スターリン代理として血の粛清のネタバを胸中深くいだいて着任したのである。

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革命という名のもとに行われた大粛清

 彼の脱出の原因の第1は粛清工作がいよいよ深刻に発展して、その対象に内務部の首脳者たちがえらばれだし、リュシコフの逮捕もまた必至の情勢となって来たことである。権力斗争のためにそれが必要なら、いかなる手段をも仮借するところのない無慈悲なスターリンは、国民のあいだに深い信望のあった革命の元勲はじめ政府、党、軍の首脳者たちを次ぎ次ぎに屠ったばかりか、罪も咎もない良民を数百万も弾圧粛清してしまった。

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 ソ連の国民で、その肉親か親戚か、知人のあいだに犠牲者をもたないものはただの一人もなかったと言われるほどそれは大がかりなものであった。

 従って表面スターリン権力に屈してはいるものの、それら犠牲者につながる国民のスターリンにいだく怨嗟、忿懣の情は声なき声となってソ連全土を蔽うにいたったといってもあえて誇張ではあるまい。そこでスターリンの粛清工作の筋書に用意されていたものは、直接の下手人である内務部の上層部や役人に国民のウラミを転嫁することであった。

 かつてゲペウ長官ヤーゴダは1938年の3月ブハーリン等ととも処刑され、ヤーゴダを裁いたエジョフ内務部長官も次のベリア長官に粛清されてしまった。スターリンの右腕として権力並ぶものなかったベリアも、後年モスクワのルビヤンカで処刑された事実を考え合せると『人を呪わば穴二つ』のたとえのままである。