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連載昭和の35大事件

スターリン信頼の幹部による謎の亡命事件――リュシコフ大将は本当にソ連を裏切ったのか

「反ソ反共にもなるんですか?」で一変した表情

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, メディア, 国際

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疑わしいリュシコフの態度

 昭和19年の夏、筆者は高谷君の案内でリュシコフを訪問し、かねての疑念をはらそうとした。それは筆者から見ると、リュシコフはソ連擁護の立場に立っていたからである。すなわち彼の『ソ連共産党小史』の批判をよむと、スターリンは若い時メンシェヴィキであった事など詳述しており、全体として『小史』は他の一切の指導者の功績を奪い、彼らのすべてを悪者にして、スターリン一人を偉人にするように歪めていると言うのにつきていた。つまり史実歪曲ということだ。

「なるほどこれで他の人を欺けようが、この『小史』には最も大切なものとして、レーニン主義の行動原理が示されている筈だ。それを示さぬのは何故か」

 筆者は前述の『某要人』がそれを示唆したことを想い出してそう考えた。しかも若し我々がそれを知りえたら、我々は彼らと闘う力を得るし、正しい社会科学建設の素材にすることができる。彼が『小史』のスターリン的歪曲という非本質的な事だけを取上げて、本質的な行動原理を示さぬのは、表面的にはスターリン攻撃を行っても実はソ連と共産主義との勝利をのぞんで居るからではないか。

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 そういえば、彼の記録の一切が疑わしいものに映ってくる。

ソ連の内情を書いた手記について 1938年7月2日東京朝日新聞の号外

 粛清の話は物すごい。キーロフ暗殺事件はリュシコフ自身がスターリンと同行して取調べているが、ニコラエフの個人犯行であって、ジノウィエフ、カーメネフはもちろん、いわゆるトロッキー一派にも無関係であった。それをリュシコフ初めゲペウが、スターリンの命令で合同本部事件、並行本部事件、スターリン暗殺計画、日独との提携というようにデッチ上げたというのである。

 粛清の際大物はスターリンが直接指名し、その他は党歴何年のもの何%というノルマにより実行した。トハチェフスキー事件までに、十月革命以前の党員の90%、1920年以前の党員の50%、中佐以上の軍人の50%が粛清されたといっている。以上はある程度は事実だろうが、次に来る党の腐敗陰謀と組合すと、実に奇怪なことになってしまう。

リュシコフ大将の書いたソ連は本当か?

 リュシコフの記録によると、党の上層部は陰諜と歓楽にふけっていた。ゲペウは大土木工事でスターリンの膨大な機密費をかせぎ、日々長夜の宴をはっていた。ことに有名だったのはエージョフの家の宴会の豪華さであった。朝方までかかる大宴会には、文武の選ばれた大官とよりすぐった芸能界の美男美女とが集って来た。その乱ちき振りが大変なもので、ある時など、ある有名なプリマドンナが、シューバ姿で宴席に出たが、宴半ばにしてやおらシューバを脱ぎすてると、下は一糸もまとわぬ裸であった、というような事まで述べてある。

 しかもこの歓楽のかげで、他の人の失脚や暗殺を狙う陰謀が進められていたのだという。だがこんな事は、いわば閨房中の秘事も同じことで、真偽のほどを確認するわけには行かぬ。だがこれを本当だと印象すると、党は革命の党には非ずして、私利私慾の党に変質したことになり、それに反対する人を粛清していることになってしまう。

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 それならソ連共産党の運命も、たかが知れたものになるだろう。しかし今日粛清の大ナタを振っている連中は、権力政治に反抗はつき物だが、仁愛政治に移って行く的確なきめ手が判らぬのに、中途半端で妥協しては却って国を危くするという理由で、粛清を実行して行きつつあるのではないだろうか、もしそれが実体とすると、リュシコフは今の弱そうに見えるソ連邦と、明日の強力なソ連邦とをすりかえていることになる。