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「反ソ反共にもなるんですか?」で一変した表情

 しかも根は存外に深いかも知れないのだ。1935年モスクワで開かれたコミンテルン第7回世界大会の席上で、コミンテルン執行委員の野坂参三は、『日本の共産主義者は、ファシズム機構内に忍びこみ、これを内部から爆発せねばならぬ』と演説している。それはつまり、孫子の兵法の中にある一命をすてて敵中に入る『死間』(死を賭して敵中に入るスパイ)というものではあるまいか。

 しかもこの大会は、日独伊三国の撲滅という方針をたてている。して見れば、最も確実に死間の目的を達成するため、リュシコフのような大物を、公然死間として投入して来たのかも判らぬのだ。こうしたかずかずの疑問をいだいて私は彼に会おうと決心した。そしていまの家を訪問したのだ。

 筆者は彼の書斎に案内された。8畳ぐらいの狭い部屋に、ごたごたと道具がならべてあって、横ばいせねば応接セットにも腰かけられぬ。私がソファーに腰を下したとき、それまで向うをむていてラジオをいじっていたリュシコフはやっとこちらを向いた。荒い縞の不二絹のYシャツの腕をまくり上げ、ネタタイはつけず、胸が少しはだけている。

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 高谷君の話では、一昨日から今日の来訪を知らしてあるのに、甚だ不可解なことであった。背のずんぐりした、小肥りの男で、赤ら顔の鼻下にチョビひげを蓄えたところは、品格のあまりない、田舎教師という感じだった。とてもあの記録を書いた鋭い才能のある人とは思えない。何か警戒しているな、ということが感じられた。

 私はまずソ連の現状と将来について問い始めた。彼は明らかによろこんでいない。

 私は彼に脱出の理由をたずねた。予想通りの返事だった。私は直ちに切り込んだ。

「ではソ連で言う『日本帝国主義』に協力するということは、生きてさえ行けたら、反ソ反共にもなるということですか」

 私がこの問を発したとき、彼の顔からは田舎教師の面影は消え去った。眼はギラギラと光をおび、顔の筋肉はひきしまった。

「私はプラウオゥエールヌイ・コンムニストです。だからスターリンには反対です。しかし彼は永久ではありません」

 断乎たる叩きつけるような声であった。

 私はこの『プラウオゥエールヌイ』(正統派)という言葉を『プラウオスラウヌイ』(正教会の)と勘ちがいした。そのため話がごたついて、私は話のつぎ穗を失ってしまった。まだ聞きたいことは沢山あったが、断念して引き上げた。彼はコンムニストだ、しかし陰謀とは関係ない、というのが他の人々の考えだった。彼は最後まで反スターリン・コンムミニストの立場でいたと言う。