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連載昭和の35大事件

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, メディア, 国際

敵国ソ連・血の粛清工作のカギを握る最高幹部の一人

 リュシコフ大将脱出のセンセーションは、それが張鼓峰の日ソ軍事衝突から、ノモンハンの更に大がかりな日ソ戦闘にいたる直前の時機であり、日ソの軍事的対立が、満洲国境をはさんで、一触即発、まさに火を吐く険悪な緊張し切った時機に、その国境線を突破して行われたものだけに、それまでたくさんヨーロッパやアメリカで見られたどんなソヴエト要人の国外亡命にもまして劇的であった。

 それに加うるにリュシコフ大将自身が、生えぬきのゲペウ(内務部)最高幹部の一人であり、当時世界を震撼させていたソ連の血の粛清工作のカギをその手に握っているうえに、深い謎につつまれているクレムリン権力の内幕についても誰よりも真相を知っている人物であるだけに、かれの亡命にたいする世界の関心はいやが上にも高められたわけである。

 またそれだけにスターリン御大はじめクレムリンの狼狽ぶりも深刻を極め、この事件に激怒したスターリンは、極東地方内務部の幹部や東部国境の赤軍部隊の警備担当者多数を厳罰に処したことはもちろん、ソ連政府の閣僚や党要人、内務部幹部にたいするスパイ制を急速に強め、要人の単独行動を封ずる処置に出た。ただしリュシコフ大将自体に関するソ連報道は『そんなものは存在しない。日本のデッチ上げだ』の一点ばりで全然無視する態度に出た。

 しかし彼の所持する身分証明書の写真や、極東地方から選出されたソ連最高会議代議員のなかに、当時の極東軍司令官ブリュッヘル元帥などとともに、内務部極東長官ゲンリッヒ・サモイロヴィチ・リュシコフ三等軍大将がある事実は覆うべくもなかった。かれの写真はその前年の極東ソヴエト機関紙『チーホオケアンスカヤ・ズウエズダ』(太平洋の星)に掲載されている歴とした事実をわたしたちは知っていたのである。

リュシコフ大将の身分証 1938年7月3日の東京朝日新聞 

 ところで一体これほどの大物が、その輝やかしい権力の地位をすて、自分と愛する妻子の生命を大きな危険にさらしてまで、なぜ満洲領に亡命脱出して来たのか?