解説:ワイドショーもぶっ飛ぶ84年前のスキャンダル報道

「志賀暁子」という名前に心当たりがある人は、いまほとんどいないだろう。京都生まれのクリスチャンでダンサーを経て映画女優となり、一時は主役も演じた。「エグゾティックで妖艶な美貌を強烈に印象づけ、たちまちスターの仲間入り」(「日本映画俳優全集女優編」キネマ旬報社、1980年)した。

 その彼女がメディアにセンセーショナルに取り上げられたのは、1935(昭和10)年7月18日の東京日日新聞(東日、現毎日新聞)朝刊社会面だった。「新興キネマの女優 志賀暁子が堕胎」の見出し。警視庁池袋署が恐喝事件で男を取り調べたところ、彼女を脅していたことが判明。そこから「恋人の某男優との間に出来た七カ月の胎児を昨年十月堕胎したことが発覚」したと報じた。本文の記述を読むと、記事は通信社(当時なら電通か聯合)の配信だった可能性がある。

銀幕スター・志賀暁子 ©文藝春秋

「堕胎」が事件になったことが奇異に感じられるかもしれない。明治時代から刑法に定められ、現在も212条、213条で罰則を伴って規定されている、れっきとした犯罪だ。戦後は優生保護法、その後の母体保護法で「人工妊娠中絶」とされ、「経済的な理由」と医師の認定があれば認められるようになって死文化。摘発例はほとんどなくなったが、戦前は発覚・摘発例も多く、盛んに新聞紙面を騒がせた。

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「小間切れにした上に処分した」

 本文は「ジャーナリズムに殺された女優」と書いているが、確かに当時の新聞報道はすさまじかった。東日の「発覚」の記事は、全く別の窃盗事件で警察に留置された女性美容師と組み合わせて「“虚栄の市”に毒の花」の共通の見出しを付け、「醜い心の二人」という説明の顔写真も掲載している。東日は19日夕刊(当時の夕刊は翌日の日付をとっており、実際は18日夕刊)社会面トップで「志賀暁子と産婆 嬰児殺しの罪か」の見出しをとり、「一昨年秋某外国人をパトロンとしているうち妊娠したので二カ月の胎児を堕胎したことも判明した」と書いた。「死んだ嬰児は一旦そのまま府下某地の桑畑に埋めたが、その後もまた掘り返して小間切り(細切れ)にした上適当に処分した」とおどろおどろしい手口も伝えた。

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 同紙24日夕刊では「暁子の堕胎は 阿部氏の子」として、同署が23日に参考人として召喚した日活の阿部豊監督が「暁子の堕胎した子は、たしかに自分との関係から生じたものと思います」と認めたと報道。いまなら「捜査関係者への取材では」などと前置きをするところだろうが、個人のプライバシーどころか人権侵害ともとれる、最近のテレビのワイドショーもぶっ飛ぶようなスキャンダル報道といっていい。この事件ではこうした報道が続く。