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連載昭和の35大事件

バーバリーコートに拳銃 “ギャング共産党事件”の犯人が明かした、真相のすべて

負わされた任務の重圧に耐え難い様子であった

2019/10/13

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, 歴史, 政治

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「防衛的意味での武器所持は許されるべきである」を確信した

 私はこれまで共産党員が護身用として拳銃を持って居る者のあったことは、三田村四郎の検挙の号外を見たとき以来、度々聞いていたが、今泉君の落着き払った動作にすっかりのまれてしまった。やがて下宿に帰っても、武器を持つ者の不安と自信の交錯のなかに夜を明かした。

 翌日の正午示し合せた場所である、京浜電鉄品川駅の食堂に行くと既に、大塚君は来て居り、中村経一君と私は別の卓を囲んで、名流婦人の来るのを待っていた。暫くすると、可成太った品の良い中年婦人が、大塚の卓に来られたが、私はすぐに河上肇博士の夫人であることを知り、同時に渡されたものが金銭であることを直感した。当時共産党の同情者が党に対する寄付行為は当局が相当に注意していたから、博士婦人も纒った金銭を銀行等より引出すときには必ず、何等かの連絡があり、当局がこれを追って、党関係者に手交する現場を検挙するものであるとの推測がなされたのであろう。しかしこの会見と物品の受授は一見平凡に行われ、警衛の中村君と私は事なく引上げたのである。

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 私は過去数年の労働運動の実践から、極端にまで圧迫された共産党が政治的自由を護持するには、防衛的意味での武器所持は許されるべきであると云う信念の一端を果したと確信した。私と行動を共にした中村君は、レーニンがマキャベリーの云った『狐の“ずるさ”と獅子の勇気』が必要である旨を力説していた。私たちは党という規律のもとに、互の実名をも話さず、経歴も語らなかったが、それだけ口数の少ない内にも、心の行き方を探るかのようであった。多くの同志と云われる人々は私にとって面識のみの他人であった。

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秘密事務所で銀行ギャングの謀議が続けられる

 斯くする内に9月も中ば過ぎ頃、連絡によって大塚有章君は重大な計画を私に示した。

 既にいろいろの経験の結果であろう、日本橋近くの東京ビル5階の一室に「高野計理士事務所」という看板を掲げ、そこが私達の家屋資金局の秘密事務所になっていた。表向き事務所のサラーリマンの如く一定時刻に通勤し、各々の用件をもって出入するかの如くであった。5階の窓には花瓶があって、それが安全標識である。私たちは街頭からその花瓶を見上げ確認して事務所に這入るのである。

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 事務所には今泉、石井、中村、大塚とその他私の知らない勤務者が、2、3名と婦人事務員が1名、本当の計理士事務所と何等変った処がない。

 この事務所で数回に亙って銀行ギャングの謀議が続けられる。今泉、大塚の力説する処に依ると、今夏行われた東京地下鉄のストライキは地下に電車を停め、それに籠城した大衆も警察と軍隊の出動に依って弾圧され敗北した。日本帝国主義は満洲、上海事変以来非常にあせり出して、戦争は近づいている。ここにおいて強力武器購入のために大口資金を必要とするに至った。