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連載昭和の35大事件

バーバリーコートに拳銃 “ギャング共産党事件”の犯人が明かした、真相のすべて

負わされた任務の重圧に耐え難い様子であった

2019/10/13

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, 歴史, 政治

いよいよ、金庫が閉鎖される寸前に乗り込むと云うことに

 そこで家屋資金部も差し当り、小石川の白山下の不動銀行を襲って、纒った金を奪取する必要に迫られたと。この銀行の内部構造、其他の詳細は、既に幹部の詳しく知るところであった。これはあとになって判ったことであるが、不動銀行の行員が行金を持ち逃げして党に提供した際に得た資料に依るものと云うことで、従って内部事情は詳細にわかっているようである。

 そこで、いよいよ8月31日夜12時に外交員が集金して銀行に戻り精算を終って、金庫が閉鎖される寸前に乗り込むと云うことになった。自動車も2台家屋資金局が買い、党員に運転させて、必要でないときは貸ガレージにあずけ、また、タクシー流しに依り運転手の自活をせしめるように組織されていた。

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 かようにして一切の準備が完了し、今泉君を除く、大塚はじめ石井、中村等と私は、夜半小石川の銀行へ自動車を走らせたが、あいにく銀行の前に支那そば屋が店を開き、行員らしき者も、そばを喰っていた様にも感じられ、2回3回と銀行の周囲を徘徊している内に、そば屋も家台を挽き去ったので、自動車を止め、勝手口へ入ったが、既に施錠してあり、行員は帰ったものらしく、この計画は成就せずに終った。

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 既に私は大塚君の要請によって上京以来1ヵ月足らずして、武器所持のピケから、一時テキやに潜入し、更にいま、ギャング団の一員になっている。この激しい変り方は、もし起居を共にする者が居ったならば、明かに察知し得るものであろう。

大森の川崎第百銀行襲撃を思い付く

 河上博士の自叙伝の中にも、「大塚はこの頃重大な計画をしている最中で、自分が責任者となって小石川の不動銀行白山支店の襲撃を企て、その夜は実行不能に終ったが、更にそれに代わるべき計画(後に大森ギャング事件として帝都を震撼せしめたもの)を間近に実行せねばならぬ責任を負わされており、頭はその方で一杯になっていた。私は薄々その事を聞き知っていたが、そう思って見ると、大塚は何となく落着かぬ様子だし、おのずから緊張した切迫感を漂わせていた。彼の前で私は家庭的な私情に耽る気にもなれなかった」と述べておられる。

 不動銀行白山支店の失敗以後、一同は負わされた任務の重圧に耐え難い様子であった。

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 そこで石井君が思い付いたのであろう。大森の川崎第百銀行襲撃である。石井はもともと大森近くに住居している父親と共に土木建築の仕事に係っていたので、この銀行へは度々出入したこともあり、現に父親の取引銀行であってみれば、甚だ思い余った上のことも考えられる。石井はこの事件の準備のために一切を調達するにも私情を殺すかの如く一見平静でもあった。大塚君も社会運動上に知られた名士である。よくよくの決心から出たものであろう。本隊から遠く離れて、側面の仕事をする私達は事の是非を論ずることもできなかった。