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死の前ぶれというようなニューズ

 この佐藤が、第4回目の欧洲遠征の途次、マラッカ海峡で投身自殺をしたのであるから巨星地に墜つ! の感があった。

 この年から、欧洲ゾーンでは、参加国多数のため予選制度が採用せられ、日本は後半参加の幸運のくじを引き当てたために、出発は前年に比べて1カ月も遅く、3月下旬神戸出帆の箱根丸(船長栗田達也氏)で、佐藤、山岸、藤倉(次)西村(故人)の陣容で鹿島立ったのである。

 後から参照してみると、死の前ぶれというようなニューズがシンガポールから来ていた。

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 朝日特派員から4月4日発で『デ杯選手一行は箱根丸で4日シンガポールに寄港したが日本出発から健康のすぐれなかった佐藤は、航海中更に衰弱したのでシンガポール下船静養を余儀なくされたが、目下の容体はデ杯戦出場不可能と見られている。』と報じてきている。

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 更に、5日発で……『デ杯戦出場の佐藤選手は遠征を断念し、シンガポールで下船、5日出発の照国丸で帰国を決意し、一旦その手続を取ったが、歓迎会席上、有志の熱心なる勧告により遂に翻意、兎も角、行くところまで行くということになり、3選手と共に5日朝箱根丸は欧洲に向った。佐藤は非常に憂欝で航海中も室内に閉じ籠り顔を出さず、食堂もこれまで2度か3度しか出ていないという風て神経衰弱が募っていることは、医者も認めているが、一旦引返しを決意するに至った原因は他にあるらしい。佐藤は何事も語らない。』……と。

 これは大変なことになった、何事か起りそうだ、と感じても、これから死の聯想だけは出来なかった。

何故死んだのだろう?

 当時私は渋谷桜ヶ丘のアパートに住んでいたが、勤務先の朝日から午前6時頃朝寝坊の夢を破られた。『電話ですよ』というアパートの小父さんの声で、渋々電話口へ出てみると社会部から、佐藤の死を報じ、君が適任者だから今日は気の毒だが社会部員となって働いてくれ給え、という命令である。いずれにしても、その後の詳報を得たい気持やら、驚きやら、協会への腹立たしさやら、取り乱したままで駈けつけた。

自殺の背景を報じた東京日日新聞

 出社してみると、次々とニューズは入ってきた。ここには代表的なものを一つ写してみよう。

『郵船箱根丸にて欧洲遠征途上のデ杯撰手佐藤次郎選手は、5日夜マラッカ海峡航海中突然行方不明となり、数時間に亘って船内を捜索したが見当らず、同氏の船室に入ってみると、遺書が発見されたので、覚悟の投身自殺判明とし、直ちに船を停め海上を捜索したが見当らざる旨を同船上の選手より6日早朝庭球協会宛急電してきた、云々』

 若しや何処かに生きているのではなかろうか、という淡い希望も、この一文で望みの綱は断たれた。何故死んだのだろう? 死なずに生きて解決する策が頭に浮ばなかったのだろうか?