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連載昭和の35大事件

2019/10/06

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, 歴史, 国際, メディア, スポーツ

並大抵の方法じゃ全治しそうにもなく

 彼は、余りの直入さに度胆を抜かれたのか、巴里で、ボロトラの招宴の延長に於いてマドモアゼルに触れたことを告白した。私もお恥かしい次第乍ら、その後この毒の華に触れたが、当時は、その治療法をわきまえぬ悲しさ只、『何処かの病院へ行って癒さなけれゃ駄目じゃないか。』と兄貴顔で言ったに過ぎなかった。

 新聞社は粋人というか、通人というか、却却に“常識者”が揃っているので、それとなく質問をしてみたが、その治療の困難なことに驚いた。ましてや、国際性の、悪質の、血尿までに悪化したのでは並大抵の方法じゃ全治しそうにもなく、全癒に半ケ年は絶対必要という“常識”を得た。早速、次郎に伝達したが、今にして思えば、彼の精神は既に分裂症状を呈して、一応は私の忠言を容れても2、3分後には忘れて終っていたに違いない。ああ、現在のペニシリンかせめてもズルフォンアミド剤のある時代だったら、あたら命を捨てずに済んだものを!

「性病治療」が満載の当時の新聞広告欄

 これに関聯して、時の協会の態度も後口の悪いものを残している。ある理事が私を訪問して、次郎に就いて兎角の風評を聞くが、真実や否やを訊ねられた。私はやっと解放された思いだった。協会で彼の面倒を見てくれることと、その年のデ杯陣から彼を除外することを依頼したのであった。これより遡って、私は、幸いテニスの記事を雑誌、新聞紙上で書く機会を持っていたので、佐藤は南船北馬の旅でスッカリ疲労し尽しているので、1カ年ぐらい休養させて捲土重来する方が、彼に世一界制覇のチャンスさえあると力説し、暗に彼の遠征を見合わす方向に論調を向けていた。

考えられないような裏があったのでは

 然し怪訝なことに、数日後協会は佐藤を主陣に山岸、西村、藤倉の四選手を発表して了った。佐藤が精神分裂の一面に於いて、彼自身の健康を無視して諾意を表明したものか、協会が別の観点からこの発表を行ったのか、今以て私には解らない。

 次郎の実兄太郎氏が、協会へ恨み話として某紙に、『シンガポールで下船の意志のあったのを「協会から、もう一度行ってくれ、募金中だから是非行ってくれ」と金に結びつけての協会第一主義で次郎の身体を第二義に取扱ったのは残念です。』と語っているところを見ると、考えられないような裏があったのではないかと釈然としないものが残る。

佐藤選手の兄は直後、協会への不満を漏らした(朝日新聞)

 話題に上った、岡田早苗嬢(井上昶氏夫人)との婚約も、優しい慰め手に渇望した結果、前後の見境もなく求婚したのではなかろうか? 彼女への遺言の中に転々として捉えどこのない自分自身を持て余しつつも、最後に残った一片の正常さを取戻して、彼女に次の如く詑びてゐる。

早苗様、ああ運命、許して下さい。一寸したことが原因で、私の頭の中に1つの集中を妨げる思いが生じて了った。日本出港以来の胃腸病のため衰弱、あすはシンガポール着、欺うして書いている時でも、その集中を妨げるものと、集中出来ないと思うこと、それ自身を考えることが出て来て私の頭の中を去来して去らない。従ってそれ以来物事が集中して出来ない。恐らくテニスもそのために能率が上らないのだろう。許して下さい。私は死ぬ。卑怯だがこうなった以上やむを得ない。当然婚約を取消して下さい。ああ実際悪いことをした。私はあなたの一家一族の名誉を傷けた。私の着物だけは兄に返して下さい。他の物はよろしかったら全部お納め下さい、ああ哀しい。これがこの世の別れか‥‥。

(4月3日 次郎)