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連載昭和の35大事件

2019/10/06

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, 歴史, 国際, メディア, スポーツ

時すでに遅く、彼の命を救う道はなかった

 かりそめの、一夜の恋をしたばかりに、傷ついて、ああ大変なことをした! というショックと、病苦と、未だ学籍に在る身や、代表選手としての責任観から、他人にも語らず同僚の布井、伊藤にも秘めて、日夜呻吟するうちに、強度の神経衰弱に侵され精神は分裂状態を続けていたと解される。病気の治療も恐らく彼自身で何処かの病院の門を叩いて見たであろう。

 早苗嬢に封する遺書が、4月3日、シンガポール入港以前に書かれているところを見てもその感が深い。シンガポールで下船し、靖国丸で帰国の意志を表明しているが、帰路でも、何処かで入水する気持だったように思う。ただ一応遺書は準備してもその決心がつかず、一日延ばしにその機を待っていたに過ぎなかったのだ。

佐藤選手の自殺を伝えた朝日新聞

 協会からの、内地は募金中だから行くところまで行け、という打電は穏やかではないが、もう佐藤の死は計画されていて、右へ行こうと左へ行こうと、時すでに遅く、彼の命を救う道はなかったのではなかろうか。只一つのチャンスは、彼の出発前に、公的に全身をチェックして、適宜の治療を強制する以外になかった。不運にも協会が派遣を無理強いしたのは、当時批難の的になったのも致し方もない。然し、私共にも一半の責任はあった。私をも含めて、彼の周囲にあって、彼の奇言奇行に気付いたものは、何か思案すべきだった、と今にして自己反省している。

人間は悲しいかな思慮分別がある

彼の罪は軽い。26歳であった未婚の青年が、テニスのために、抑えに抑えた青春の過剰を、ふとした機会に、捨て場所を間違えたのを罪と言えるかどうか。偽善者か、極端なピューリタンでなければ、彼に石を擲てないと信じている。 

(元デ杯選手)

 犬や猿には事件がない。彼等は衝動だけで動くからである。人間は悲しいかな思慮分別がある。分別をめぐって事件が起きる。起きると必ず批判がはねかえってくる、賛成!反体!中立!いや面倒なことだね。

 戦後は、それでもややましになってきた。事件の分析、解決の方法が近代化されてきたからだ。最も忠実な記録が、為にする批判を少くしたとも考えられる。

 何事によらず描写を鮮明に、忠実にしなければ批判が出来ない。勿論ヒューマニズムの裏付けも必要だが、そこに法と人間の意志との葛藤が演じられる。紫雲丸事件の記録写真も一つの好例であるが、何れにせよ二度とあの様な惨事を繰返すまいと訴えた効果はあった。

 記録写真で思い出したが、近頃すごい売行きを見せているミノルタA。あのレンズは素晴らしくよく切れる。そてしてボデーのスマートさと共に近代化されたメカニズム(距離計連動・オートマット)が買われて、国内はもとより太平洋の彼方から註文が殺到しているカメラだ。これもまず記録(撮影)してから批判しよう。

※記事の内容がわかりやすいように、一部のものについては改題しています。

※表記については原則として原文のままとしましたが、読みやすさを考え、旧字・旧かなは改めました。
※掲載された著作について再掲載許諾の確認をすべく精力を傾けましたが、どうしても著作権継承者やその転居先がわからないものがありました。お気づきの方は、編集部までお申し出ください。

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