1ページ目から読む
7/7ページ目

国家意識の重要性と精神主義の勝利をうたった映画も

「八十八年目の太陽」という作品は、「浅草オペラ」以来の劇作家・高田保の戯曲が原作で、開戦の1年前の1940年12月、新国劇が上演。東宝で映画化もされ、開戦直前の1941年11月15日に公開された。

 沢村勉脚色、滝沢英輔監督で、出演は、当時の東宝のトップスター大日向伝と、この「昭和の35大事件」の「反トーキーストライキ」にも登場した元活動弁士の徳川夢声らだった。ペリーが来航した神奈川県・浦賀を舞台に、浦賀ドックの工員が増産活動を通じて人間的に成長していくストーリー。最近、横須賀市の市民グループが上映活動を続けている。筆者は未見だが、映画版は工員の父親を重要な役割で登場させ、工場全体が短期間の強行作業の結果、軍艦と商船の艤装、進水に成功。作業を通して国家意識の重要性と精神主義の勝利をうたっているという。

 古川隆久「戦時下の日本映画」は「軍艦建造を題材とし、『時局の重大性とこれに処する従業員の心構えとを教える点』を評価されて文部省推薦となった国策映画であるが、やはり興行的には惨敗した」と書いている。原作の時点では対米戦争はまだ現実的ではなかったが、映画化の時点では多分に意識していたと思われる。

ADVERTISEMENT

ミズーリ艦上で降伏文書に調印 ©共同通信社

 そうした人たちばかりではなく、多くの日本人にとって太平洋戦争開戦は、アメリカから長年加えられた重圧をはねのけ、恨みを晴らす一撃だったことになる。しかし、戦争は日本の敗戦に終わり、その意識も手ひどいしっぺ返しを食らう。1945年9月2日、東京湾上の戦艦ミズーリ艦上で、日本のポツダム宣言受諾・無条件降伏の調印式が行われた。

連合軍側の戦勝は「文明の勝利」とマッカーサー

「勝者」の連合国軍総司令官ダグラス・マッカーサー元帥はあるものを本国から取り寄せていた。それは92年前のペリー来航時、旗艦に掲げられていた星条旗。それを額に入れたまま艦上に飾ったという。それはこういう意味だろう。「92年前、アメリカは日本に近代化の道を開いてやった。ところが、日本はその恩を忘れてアメリカに歯向かい、こんな結果を招いた。いまあらためて文明の恩恵を与えてやろう」。その通り、この時のマッカーサーの演説は、連合軍側の戦勝を「文明の勝利」とうたった内容だった。

©iStock.com

 それから74年。1941年からだと78年になる。アメリカ文化と風俗は日本人の血肉となり、大多数の日本人はアメリカとアメリカ人が好きだ。一方で、政治、経済、軍事などでの対米従属、対米追随は依然続いている。もう一度考えるべき問題だろう。

本編「太平洋戦争開戦す」を読む

【参考文献】
▽有馬学「日本の歴史23帝国の昭和」 講談社 2002年
▽黒羽清隆「太平洋戦争の歴史」 講談社現代新書 1985年
▽五百旗頭真「日本の近代6戦争・占領・講和」 中央公論新社 2001年
▽木坂順一郎「昭和の歴史 7 太平洋戦争」 小学館 1982年
▽朝日ジャーナル編「昭和史の瞬間 下」 朝日選書 1974年
▽ドナルド・キーン「日本人の戦争」(角地幸男訳) 文藝春秋 2009年
▽清沢洌「暗黒日記」 東洋経済新報社 1954年
▽古川隆久「戦時下の日本映画」 吉川弘文館 2003年
▽「決定版昭和史10太平洋戦争開戦」 毎日新聞社 1983年