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政争の攻防に利用されることになった二人
泉山事件が起ったので野党はこれに便乗した形となった。ひょっとすると解散が不可能に陥って吉田内閣倒壊が可能になるかも知れぬと、あの時解散を喰えば分の悪かった野党はこの問題をひっとらえて、大いにこれを利用したことは確かである。
この泉山事件を転機として給与ベースアップ政府案の5300円を人事院勧告通り6300円に釣上げようと社、民両野党は必死の追撃戦に移り、とうとう14日の解散はフイとなり、野党は猛烈に総司令部に動きかけ、とうとうその承認をとって6300円にあげてしまった。
この修正で10日間を費し、最後は総司令部の圧力で遂に12月23日不信任案提出、解散となったのであった。泉山事件はたわいもないもので大臣、議員を辞めた泉山三六も、これを攻めたてて却ってあらぬ噂をたてられた山下春江もともに政争の攻防に利用され、踊らされたに過ぎない。
先般山下が自由党に入党した時、同じ自由党の泉山とがあの事件以来始めて顔を合わせ、今度はどちらから手を出すともなく手を差伸べて握手を交わしたそうだが、この瞬間こそ両方がお気の毒だったと心でいい合った瞬間に違いない。この時国会で泉山が山下の手を握り乍ら「写真班は居らぬか」と呼んでみたが誰も見向きもしなかったと不平をたらしていたのは泉山らしい。