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連載昭和の35大事件

三原山噴火口に次々飛び込む若者たち――加熱するメディア報道が導いた悲惨なブームとは

2019/11/24

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, 歴史, メディア

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「19歳になったら死ぬ」「死体は人に見せたくない」

 三原山で身を投げた松本貴代子は結核だったわけではないが、「極端なほどの結婚否定論者で、徹底的に男性の横暴と女性の奴隷化を憎悪していたことを忘れることはできない。中年の人妻に向かって『どうしてあんな男と一緒になったの。恥ずかしいと思わない?』と聞いたり、実姉に対して『3人も子どもを産んだりして、お姉さんたら何がうれしいんだろ』と冷やかしたりしたこともあった」「常々『19歳になったら死ぬんだ』とか、『死体は人に見せたくない』と漏らしていただけに、前年の秋にクラスメートと来た三原山を死に場所に選んだと思われる」と「日本の百年7アジア解放の夢」は書く。確かに、結核のロマンチックなイメージに近いといえる。貴代子は昌子と三原山を登りながら、「大島の椿を見て歌を作りましょう」と言う。貴代子は万葉集や金槐和歌集が好きで、以前から短歌に親しんでいた。最後に詠んだのがこの歌だった。

「やけくさき溶岩の道つづきたり三原の山にけぶりたちたつ」

 そこには間違いなく、時代風潮に対する深刻な不安も重なっていたはずだ。

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 前前年の1931年、軍部は満州事変を引き起こし、やがて日本は国際的に孤立する。1932年には「満州国」が成立。「昭和の35大事件」で近く取り上げる「天国に結ぶ恋」坂田山心中が起き、「五・一五事件」が発生する。そしてこの1933年、貴代子の自殺した直後には、作家小林多喜二が逮捕・虐殺される。同じ2月、ダミアの歌う「暗い日曜日」が厭世的で自殺を誘う恐れがあるとして発売禁止に。3月、国際連盟脱退。夏には「東京音頭」が大流行するが、人々に不安がなかったといえば全くのウソだろう。やけくそな気分が混じっていたのではないか。

 そして「翌昭和9年以降になると、若者の自殺が多いのは相変わらずでも、ブームは鎮静し始めた」と「情死・自殺ブームとその時代」は説明する。「国家がいくらでも若者に死ぬ機会と場所を提供してくれるようになり、わざわざ死を選びとる必要がなくなっていった」

本編「三原山投身繁昌記」を読む

【参考文献】
▽橋川文三「日本の百年7アジア解放の夢」 筑摩書房 1978年
▽山名正太郎「自殺について」 北隆館 1949年
▽鯖田豊之「情死・自殺ブームとその時代」=「決定版昭和史6満州事変」毎日新聞社 1984年所収
▽岩田得三「三原火口底探検記」 伊藤書房 1933年
▽藤田真之助ら編「日本結核全書第1巻」 金原出版ほか 1957年
▽青木正和「結核の歴史 日本社会との関わり その過去、現在、未来」 講談社 2003年

※記事の内容がわかりやすいように、一部のものについては改題しています。

※表記については原則として原文のままとしましたが、読みやすさを考え、旧字・旧かなは改めました。
※掲載された著作について再掲載許諾の確認をすべく精力を傾けましたが、どうしても著作権継承者やその転居先がわからないものがありました。お気づきの方は、編集部までお申し出ください。

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