「取押えると、一緒に飛び込んでしまう危険がある」
もちろん、地元や警察も手をこまねいていたわけではない。御神火茶屋の監視人たちも目を光らせ、地元大島署も警戒を強めていた。日本警察新聞1933年6月1日と10日号には「大島 有髯将軍」のペンネームで「三原山噴火口で何故自殺をされるか」が2回続きで載っている。その中では、自殺を防止する難しさが吐露されている。
「1人や女連れの2人は絶対に案内なしには見物させぬ。火口茶屋付近に待たせて、5、6名集まってから見物にやる。その時は火口際の下り口に門を作ってそこに監視人がおって注意する。大丈夫と見た者のみを見物させることにしている。
火口には警察から1人と監視人が2人ぐらいで、火口端から3メートルくらい手前に1列にして、両端に警察官と監視人が付いていて、5分ぐらいより長い時間はおかないようにして警戒しているに、なぜ飛び込むかというに、いつも見物が終わって5、6メートル、皆と一緒に帰って行くから安心していると、突然引き返して駆け足で飛び込んでしまう。その時にどうして取押えぬかと言うが、取押えると、一緒に飛び込んでしまう危険がある」
「せっかく死のうと思うのに」人騒がせな自殺者たちが増加
過熱するブームの余波も。「扉が閉らぬ 超満員の留置場」の見出しは4月11日付朝日朝刊の記事。「大島は依然として自殺者が続き、大島署はいよいよ自殺未遂者の保護で満員の大繁盛だ。7、8、9の3日間に保護された未遂者は男女14名、火口に消えてしまった者2名で、署員一同は保護者の取り調べと看視と三原山の巡視と旅宿の検査に走り回らされてもうへとへと」。
5月10日付東京日日朝刊には、警視庁が巡査6名の増員を申し渡したという記事が載っている。5月12日付朝日夕刊には「大島署の留置場で前から保護中の未遂者男10名が『せっかく死のうと思うのに、なぜ引き留める』」と警官に食ってかかり」「ハンストを開始して手こずらせていると」いうニュースが。「人騒がせな三原山患者に 警察も手を焼く」の見出しが付いている。
貴代子の四十九日に合わせて、和服の親友が身代わり人形を持って島に渡り、火口に投げたニュース(4月3日付朝刊)や、火口近くに「自殺防止地蔵」が安置された記事(4月27日付朝刊)も。4月29日付朝日朝刊には「大島の魅力 二日続きの休日・何(ど)の船も超満員」の見出しの記事が載った。
「午後8時に菊丸が400人(それに横浜から100人)、桐丸が350人を乗せて出帆。これだけで普段より1隻多いのだが、お客は後から後からわくように増えるので、さらに午後9時半には紅梅丸が250人を乗せ、10時には橘丸が350人、藤丸が150人を乗せて出帆した。以上船に乗れたのが1600人だが、乗れなかったのは何百人あったか見当がつかない」。これだけの人を集めたのは、単に三原山の噴火や椿など、観光地としての大島の魅力だけだったとは思えない。