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連載昭和の35大事件

三原山噴火口に次々飛び込む若者たち――加熱するメディア報道が導いた悲惨なブームとは

2019/11/24

source : 文藝春秋 増刊号 昭和の35大事件

genre : ニュース, 社会, 歴史, メディア

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「三原山に『死を誘ふ女』」「異常神経」どんどん過熱していく報道

 その後、朝日が記事を朝刊に突っ込むまでの詳しいいきさつは本編にある通り。1933年2月14日付朝刊は、自殺した松本貴代子の顔写真入りで社会面3段で報じている。ところが、富田昌子が1カ月前にも、自殺した学友の真許三枝子と同行していたことは書いていない。確認がとれなかったのか。同時にキャッチしたはずの読売は間に合わなかったのか。14日付朝刊に記事はない。

 15日付朝刊になって「学友の噴火口投身を 奇怪!二度道案内 実践女学校専門部生の怪行動 三原山に『死を誘ふ女』」のセンセーショナルな見出しで社会面半分近くを使い、大々的に報道。「火を噴く三原山頂 親友・死の立会ひ」などの見出しで、依然として三枝子のことには触れていない朝日を圧倒した。このあたりのいきさつがこの事件の過熱報道に火をつけた気がする。

「死を誘ふ女」読売の初報記事

 読売は15日付朝刊で、東京の下宿先から埼玉県忍町(現行田市)の実家に戻った昌子に「問題の昌子」の見出しを付け、16日付夕刊では「死んでいった二人はさぞかし喜んでいるだろう」と語ったとして『異常神経』」とまで表現した。

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「死の案内者」というレッテルを張られた昌子

 朝日も15日付朝刊では「女学生の猟奇自殺」「気味の悪い頂上の打明話」という見出しを付けている。

1933年2月15日東京朝日新聞

 おかしいのは、読売が15日付朝刊の初報では、貴代子から「『(真許)三枝子さんには案内して、私には案内できないの』と詰められた昌子はやむなく同行登山したものと判明した」としていたのに、16日付夕刊では「なぜ昌子は友を噴火口まで連れて行ったか」と書いたこと。自分たちメディアが作り上げたストーリーに記事の流れを合わせたのか。

「死の案内者」というレッテルを張られた昌子は実家に引きこもったが、16日付朝刊の読売は、本人を中心に家族のプロフィールを細かく記述。実家を訪問して、本人と父から話を聞いた記事を父の顔写真入りで載せている。また、婦人之友4月号では、同社創業者で自由学園創設者の羽仁もと子が若い女性7人と対談しているが、その中でも昌子のことを「あの方の行為、私たちには考えられません。二度も友達を案内するなんて」「変態ですわね」と語り合っている。一方、三原山周辺は火が付いたような騒ぎになっていた。