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1000人につき10人、100人につき1人近くが必ず若者が死んでいた

 興味深いのは「情死・自殺ブームとその時代」の指摘だ。「昭和ひとけた時代の若者を取り巻く条件に注目してみたい」として、昭和10年代の死亡率を取り上げ、「10~14歳の死亡率が最低なのは同じでも、以後急速に上昇し、20~24歳で一つのピークに達していた。1000人につき10人、100人につき1人近くが必ず死んでいたことになる」「20歳代前半の若者にとって、死は遠い将来のことではなく、極めて身近な存在であった。こうなった直接の大きな原因は結核死亡だった」と指摘している。

 結核は戦前から戦後しばらくまでの間はたびたび死因順位の1位になり、高い死亡率が続いていた。1927年以降、この1933年までは年間の死亡者数が12万人前後。人口10万人に対する死亡率は1932年の179.6を底にして高いレベルを保ったまま徐々に上昇していた(藤田真之助ら編「日本結核全書第1巻」)。

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結核の恐怖が若者たちに及ぼした影響

 青木正和「結核の歴史」は「注目されることは、1932~1944年の間、総死亡率が低下を続けているのに、結核死亡率だけが急速に上昇している点である」「特定年齢の結核死亡率の推移を見ると、20~24歳の男性の結核死亡率が爆発的に増加していることで、1938年の10万対503.9から1943年の10万対822.1へと1.6倍となり、25~29歳、30~34歳でもほぼ同じ傾向であった」と指摘する。

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「20~24歳の死因の半分までが結核だった」と「情死・自殺ブームとその時代」も指摘する。「結核菌の毒性は強くないので、感染してもすぐには発病しない。栄養不足や過労などで抵抗力が衰えたときに限って発病する。特に思春期から成年に達するころが一番危ない」。

 もちろん、三原山をはじめ、自殺志願者が結核患者や結核を恐れる人たちだったわけではないが、そうした事実が若者らに及ぼした影響は大きいだろう。「自ら死を選びとることは日本人の場合、多分にあらゆる汚れを洗い落とすことを意味した」(同論文)。

 明治、大正を通じても「自殺を普通では手の届かない、何か美しいもの、崇高なものとみなす風潮がいつかできあがっていた。そうした風潮の下で昭和ひとけた時代の日本の若者が早めに死を選びとる死の美学にとりつかれたとして不思議はない。むしろ、何の精神的苦痛もなさそうな顔つきで、生き恥をさらしつつある世の大人どもは、彼らには軽蔑の対象だったかもしれない」と同論文は言う。

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