基本的に伏線を張って回収することに興味がない
――子どもはいなくて、家族が海外赴任中の甥っ子をあずかっている。そこで、いろいろな問題に直面しますが、そのなかのひとつとして、玄関前になぜかお米やお酒が置かれるという奇妙なことが起きる。これの理由は最終章で分かりますよね。あれは最初から伏線として考えてあったわけですか。
吉田 いえいえ、全然。だって第1章を書いている時は、最終章が70年後の話になるなんて考えてもいませんでしたから。基本的に伏線を張って回収することに興味がないので、特別な理由を用意して書いたわけじゃないんです。だって、ああいう奇妙なことって実際に起きるでしょ?
あの場面では、いきなり自分の生活の中にものすごく違和感があるものが飛び込んでくる状況を書きたかったんです。そこでのそれぞれの対応を書けば、夫婦2人の関係、彼らの性格が描けますし。甥っ子を居候させることにしたのも、やはり外部から何かが入ってくることで、夫婦の姿が書けると思ったからです。
第1章で謎の米とか酒を書いたので、第2章でも似たような体験を主人公にさせました。スーパーで買い物をしていたら、いつのまにか缶詰がカゴに入っているという。第3章でビデオの映像に変なものが映っていた、というのを書いていた時はもう未来編を書くつもりでいたので、それらがぼんやり繋がる予感だけはありましたね。
うまくいく小説って、こういう予感がばっちり当るんですよ(笑)。書いている自分自身でも驚くくらい上手く着地するんです。
――第2章の主人公の篤子さんは、意外なくらい正しい人というか。正論をまっとうしようとするタイプなんですよね。
吉田 おっしゃる通りですね。今回、各章で主人公となっている3人とも、基本は正しい人たちなんですよ。
篤子さんに関していうと、やはり働いている時は優秀だったんですよ。だから女性も働いたほうがいい、みたいなことを言うつもりは全然ないんですけれど。篤子さんのように結婚して仕事を辞めてしまった後に、ポカンと空いたものを何かで埋めなきゃいけない人はたくさんいるだろう、というイメージで書きました。もっとストレートに言えば、たぶん旦那よりも出来がいいんですよ、篤子さんのほうが(笑)。自分より出来の悪い旦那を立てなきゃいけない奥さんの哀しみと必死さがありますよね(笑)。もし篤子さんのほうが都議会議員で、旦那さんがそれをサポートするんだったら、ものすごくうまくいくはずなんですが、まあ、そういうことじゃないですよね。
でも、この正しい人たちを改めてみると、やっぱりおかしいんですよね。いわゆる正しさ、正義というのをちょっと違う角度から見たかったんだろうとは思います。だから3章で殺人が起きるところまでくると、正しさというものがどれほど恐ろしい結末を迎えるかというイメージになっている。
――第3章のディレクターの謙一郎さんにしても、仕事ぶりをみるとものすごく誠実に仕事をしている印象なんですよね。
吉田 そう、仕事どころか、何もかもに対して誠実なんですよ。だからこそ、物事の正しさがなんで相手には分からないんだろうというところで、苛立っている。
――そこは掘り下げたいけれどネタバレになります(笑)。また、法律的、道徳的な正しさのほかに、アーティストの作品をどう判断するか、という“正しさ”の話も出てきますね。明らかにそこまで実力がない人なのに、実権を握っている人に認められてプッシュされると、新進気鋭のアーティストということで世間が認めていってしまうという。
吉田 よく見る光景でしょ?(笑)