――新作『橋を渡る』(2016年文藝春秋刊)、たいへん面白く拝読しました。2014年の東京に暮らす3組の無関係の男女の日常が、不思議な連なりをみせていく。『週刊文春』で連載がスタートしたのが2014年なんですね。
吉田 連載の話をいただいた時、4部構成とすることに決めたんです。第1章で町を書き、第2章で東京を書き、第3章で日本を書いて、第4章で世界を書こうと。でも、町は書けるけれど、東京がなかなか書けない。東京を描こうとすると町の集合体になってしまうんですね。そのあたりで軌道修正し、4部構成の方向を変えたんです。
連載していた頃がちょうど戦後70年を迎える時期で、70年前の日本のことを語られることが多かった。そんな時、改めて気づいたんですよ。そうか、70年前の日本があるということは、70年後の日本もあるんだって。そこで第1章で町、第2章で東京、第3章で日本とまずは空間を広げていって、最後の第4章ではグンと時間を広げる構成になりました。
――ああ、なるほど。だから第1章は一般的なサラリーマンとその家庭の話、第2章は都議会議員の妻の話、第3章はテレビの報道局のディレクターの話になって、第4章で70年後の話になるわけですね。それぞれ迷いや悩みを抱える人たちです。
吉田 今回は『週刊文春』での連載だったので、この雑誌をどういう人たちが読んでいるのだろうかということはずっと考えました。特に第2章の主人公の女性が、『週刊文春』の編集部にクレームの電話をかけるのは、そういったことがあるからでしょうね。
――そう、自分の夫の不祥事が追及されないように、「もっとスクープを」と編集部に電話するんですよね。編集部ではクレーマー扱いされている。『週刊文春』の連載小説に『週刊文春』が出てくるから笑えました。それに、実際にあった事件もたくさん盛り込まれていますし。
吉田 担当編集者があの箇所を読んで、「こんなに対応優しくないです」って(笑)。小説ではあの頃ちょうどあった都議会の野次問題を書きましたが、このインタビュー受けている今週の記事にも別の国会野次問題が載っていますよね。変わらないんですよ。小説では2014年の記事を物語の中に入れているけれど、2016年の今も。ただ、問題を起こしている人が変わっているだけで、不倫、野次、収賄と、同じサイクルで同じような問題が起こっている。それと、本になる時にいちばん驚いたのが、たとえば韓国のセウォル号の話も書きましたけれど、まだ1年ちょっとしか経っていないのに、もう何年も前の話みたいに感じることです。都議会の「産めないのか」という野次問題も、発言主が分からないまま、朝日新聞の慰安婦の記事などいろんな問題が次々出てくるから全部尻切れトンボになっている。何も解決しないままいろんなことが終わっているんだなと改めて感じます。そして僕自身も含め、誰もがそれに慣れてしまっている。小説に書いてみてようやく、あれも解決していない、これも解決していないんだ、と気づくんですよ。
――女性議員へのセクハラ野次なんかは、実際にニュースで見て気になったのですか。
吉田 だって、気になるでしょ? 「産めないのか」っていう野次、聞こえたじゃないですか。日本全国みんなに聞こえた声が、なかったという結論になったんですよ。気持ち悪いですよ。これ以外にも実際のニュースを作品内に取り入れていますけど、どの出来事、どの事件を選ぶかはほとんど直感です。それぞれの主人公が週刊誌を開いて、どの記事が気になるか。気になる記事で、その人の人柄のようなものが出せればと考えていました。
――第1章の主人公は地方出身のビール会社の営業課長。妻は東京生まれで、ギャラリーのオーナーでお嬢様っぽい人で。
吉田 『横道世之介』(09年刊/のち文春文庫)もそうでしたね。地方出身の男性と東京の女性の組み合わせって、なにか噛み合わないところがあって、物語の中でも齟齬が生まれるので好きなんですよ。