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連載昭和の35大事件

2020/01/12

source : 文藝春秋 増刊号

genre : ニュース, 社会, 歴史, メディア, 政治, 国際, 企業

なかなか天候が幸いせず待つこと2週間

 三勇士は三本木の安野旅館に休息して13日早朝壮途につく準備を進めた。同町の太田海軍中佐や山田航空官は淋代の出発地のラムプ(重い機体を浮かせるために傾斜面を作ってある)や滑走路の地固めに準備おさおさ怠りなく、何時でも出発出来るようになった。

 しかしああ何たることか。天候はこの三勇士の壮挙に幸いせず、好機をねらって“じんぜん”(荏苒)時を過す事2週間。淋代飛行協会長、小比類養氏邸で空しく腕を撫しつつ起居しているのみだった。

 館山航空隊から大湊に飛行演習のため飛来した一五式飛行艇の栗本尊大尉は100メートルの低空をし、その帰途には、

「太平洋横断飛行の御壮挙に敬意を表し併せてその御成功を祈る」

 との通信筒を投下したして三勇士を激励したり、その無聊を慰めたりした。三勇士は天を仰いて慨嘆したり、烏鷺を戦わして憂を散じていたが心中の焦燥は察するに余りあったことであろう。この間三菱航空機から派遣された神田技師は機体、発動機の整備に細心の注意を怠ってはいなかった。

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「よし、エンジンをかけよ」いよいよ出発の日

 そしていよいよ晴れの出発の日が来た。それは9月24日。その出発の情景を報知新聞特派員は次のように報じていた。

 4時10分前にエンジン試運転のために馬場飛行士は三菱の神田技師と機上の人となり、本間機長と安田機関士はプロペラーの圧搾をした。4時15分エンジンの試運転は終った。最大回転数1380回。胡椒唐辛子を靴の中に入れて防寒の準備をした。4時30分東の方が白みかかった。本間機長は太田少佐と自動車で滑走路を点検した。海上はるか黒雲がもくもくとわいている。

 5時5分「よし、エンジンをかけよ」本間機長は馬場飛行士に命じた。『繫留索』は在郷軍人の中村岩蔵君によって切られた。滑走路をすべり出した。離陸に最も悪い東風が機の真横から吹きつけ始めたが、機首は急激にコースから外れついに飛行場の西側の100メートルの所まで滑走して止った。再び青年団によって引もどされて、同30分再度の滑走も意に満たず、この時見送りの人々の頭に一抹の不安が横切った。拳の中には汗がにじんで、時計の1分1秒が緊張の瞬間だった。

 正に5時36分第3回目の滑走が試みられた。今度は尾輪をとりはずした。横風に向って舵をとって進んでいった。50メートルのところで尾橇が離れ、100メートル、200メートル、37分丁度650メートルを滑走した時、4トンの機が浮いた。そのまま漸時高度をとり1000メートルの高度に達して、45分洋上の彼方に機影を消した。

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 この報道記事の通りであるとすれば全備重量4トンの「第三報知日米号」はラムプ(滑走台)から滑走し初めて、横風をうけて僅か50メートルで尾橇が浮いて650メートルで離陸したというのは新記録であると別な話題を提供した。