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連載昭和の35大事件

日米親善・北太平洋横断で消息を絶った飛行機はどこへ?――技師が明かした“驚きの証言”

「4.5時間の燃料しか積んでいなかった」

2020/01/12

source : 文藝春秋 増刊号

genre : ニュース, 社会, 歴史, メディア, 政治, 国際, 企業

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「機体発動機共に調子良好」最後の通信から消息不明に

 淋代を午前5時37分離陸した機は7時12分襟裳岬を、同8時40分厚岸を、9時10分には根室上空を、同50分には色丹島を無事通過して午前10時16分に、機上から、

「択捉島南々東廿浬の点を通過す、一点の雲もなく、軟風に乗じて愉快なる飛行を続けつつあり。ただ懸念するはベーリング海のリング海の低気圧である。正確の位置を知り、その影響なき方面を迂回して追風になるよう工夫している。飛行高度1000メートル、そろそろ寒気を感じつつあり。一同元気頗る旺盛、機体発動機共に調子良好」

 と落石無線局に送って来た。然しその後感度微弱となりその通信が最後となってそれ以後は何の通信もなく消息は全く不能となってしまった。

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 報知新聞社をはじめ航室当局でも憂慮して直ちに同機の捜索を依頼する手配の無電が飛んだ。

 落石局はその後、同機を数十回となく呼び出したが何らの応答を得ず、無電機の故障かと必要の送信だけは続けていた。一方ロシアのペトロパウロフスク局、米のセントポール局をはじめカムチャッカ東岸にいた長門丸、ベーリング海にあった米沿岸警備船ノースランド号、千島得撫島にあった白鳳丸、幌莚島附近航行中だった大星丸、小樽丸或ひは俊鶻丸、大隅丸などコース上の附近の船舶には全部依頼したが何らの消息をも得られなかった。

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捜査飛行を数次にわたって行ったが……

 当時のコース上の気象は、カムチャッカ方面は荒天だったが漸次回復し夜に入ってペトロパウロフスクは760ミリ、北6メートル気温8、雲少く、視界良好、ノーム附近は暴風雨で北緯60度東経168度付近は暴風雨で東に移動しつつあり、機がアラスカに近づくころは暴風雨の中心が上陸するころで飛行にはむしろ好都合である模様だった。千島列島附近は快晴であった。

 かくして各船が航行の途次、各島の越年者について調査したが結局情報を総合すると中部千島以北では機影も見ず、爆音も聞かずということになったので中部千島以南において悲しむべき事故が発生したのではないかとの推定が下されるに至った。或は南方迂回コースをとり、ノームを避けてアラスカの何処かへ着陸していないか。

 火箭を見たというアンカレッジの北方クニック氷河附近を中心にアンカレッジ市商業会議所は報知新聞社の要請に基いてマグギー航空会社の飛行機で捜査飛行を数次にわたって行ったが無駄であった。

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