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連載昭和の35大事件

2020/01/12

source : 文藝春秋 増刊号

genre : ニュース, 社会, 歴史, メディア, 政治, 国際, 企業

米国大統領から見舞いの親電

 三勇士の消息不明に対して、フーバー米国大統領は10月6日、天皇陛下に次の如き御見舞の親電が寄せられた事は全く異例の事で、米国側に如何に三勇士の捜索に重大関心を持っていたかがわかるであろう。

「米国大統領たる余は貴日本帝国天皇陛下及び日本国民に対し日本飛行家本間、馬場、井下三氏の安否に関する深甚なる同情を米国民一般に代って表明するものに有之候、余は行方不明となりたる三飛行家の幸に無事生存し発見さるべきを切望して已まず且つ目下米国政府が全力を竭して援助しつつある三飛行家の所在捜索事業の成功せんことを衷心熱望して已まざる者に有之候」

 これに対し天皇陛下は直ちにフーバー米大統領に御答電を送られた。

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「これ以上の捜索は出来ないと断定したい」

 それまでは報知新聞社の捜索は他力本願的であったが択捉島附近海域に本格的な捜索船を仕立てることになって、東京サルヴェジ会社の吾妻丸(431トン)に大浜船長以下、小森円海技師、報知新聞社から浅井飛行士出原記者らが便乗して10月18日小樽を出港、21日には根室を出発して、択捉、得撫島方面に必至の捜索が行われた。

 その模様を、27日根室に帰った浅井飛行士は、

 我々一行は人事を尽くして天命を待つの心境で怒濤逆巻く北海の海と闘い、人跡未踏の、二、三尺余りの腐敗した草木の上に丈の低い灌木、草木が密生している所をかきわけ踏み分けて捜索して、それに天候が定まらぬあの北洋の天地には瞬く間にガスが襲って来る、その気味の悪いガスの内で自分たちはあらゆる危険を冒した。

 

 全くこれ以上の捜索は出来ないと断定したい。幸い空は展望を許される天気が多かったので短時日ではあったが十二分に捜索が出来たと思う。殊に得撫島の南端に上陸した時の如きは4班に分れて大きな旗を振りつつ展望の良い所へそれぞれ二哩近くも入り込み密生する草木を分けつつ、一歩踏みしめる毎に足を両手で支えながら捜査に当った努力と苦心は言葉で現わせないものがある。(以下略)

 と報じていた。

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 三勇士の機上には缶詰類26個、ウィスキー1本、醬油2本、塩一合、氷砂糖半斤、鰹節2本で3人で2週間分の他に、猟銃1挺、ピストル2挺、釣道具一組、斧一挺、固形アルコール10鑵、携帯燃料5鑵、アルコールランプ、ローソク、鍋その他救急要品があった。

 消息を断った当時、予想された事は、

(1)ノーム方面の気象状況が悪いので南方コースでアラスカ、カナダに向ったか。
(2)以前より若し故障の場合は千島列島宇志知島北島が不時着陸地として最適である 

 と実地踏査していた。従って同島に不時着か。

 ところがその何れでもなかった。