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2019年M-1・全員インタビュー なぜ“神回”になったか

2020/02/16

和牛さんは「戦い切った男の顔でした」

三島 やる前は、ほんとに嫌やなと思っていたんです。直前で決められるなんて。でも、やってみたら、「神の手」を感じましたね。

南條 人の意志が入ったら、あんな順番にしないですよ。しかも、ミルクボーイで今度こそ、ほんまに終わりやと思いましたからね。

――まだ、ありましたね。ラスト出番のぺこぱが、和牛を抜き3番手に上がるという、まさかの大逆転劇。

三島 ニューヨークからリレーしてきたバトンが最後のぺこぱまできちんと渡ってたんですね。

 

――和牛が4位に転落したことで、和牛さんも最終決戦を前に、楽屋に戻って来たわけですね。

三島 カッコよかったですよ。お疲れさまでした、と。堂々と戻ってきましたから。あの時の2人の表情はいまだに焼き付いてますね。

南條 悔しいみたいな感じじゃなかった。もちろん、内心は、めちゃめちゃ悔しいと思いますけどね。

三島 戦い切った男の顔でした。

南條 ほんま、悟ってるぐらいの。

【続き】すゑひろがりずが語る原点「『29歳やし、もう解散や』からの狂言風漫才」へ)

写真=山元茂樹/文藝春秋

 

すゑひろがりず/三島達也(ボケ・扇子担当)と南條庄助(ツッコミ・小鼓担当)のコンビ。三島は1982年10月2日大阪府出身。南條は1982年6月3日大阪府出身。大阪NSC28期の同期生。

別々のコンビを経て2011年に結成。14年、東京に活動拠点を移す。14、15年にキングオブコントで準決勝進出。コンビ名は当初「みなみのしま」だったが、芸風に合っていなかったため、16年に和風でめでたい意味を込めた「すゑひろがりず」に改名。16年、18年にM-1準々決勝進出。19年初のM-1決勝で8位に。

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