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同一の相手と当たることは相当に少ない

 歴代同一カードの記録は別表の通りだが、将棋史に名を残す名棋士ばかりである。お互いが勝ち上がって、タイトル戦番勝負など、多く指せる舞台で当たらないと対局数が増えないのだから当然だ。

 

 現行の棋戦で全棋士が参加するのは八大タイトル戦に朝日杯将棋オープン戦、銀河戦、NHK杯戦を加えた11棋戦。理論上は1年に同一の相手と11局指せるということになるが、1年どころか、棋士生活全ての年を振り返っても、11棋戦全てで同一の相手と当たることは相当に少ないのではないのだろうか。

 例えば羽生―佐藤戦ですら、叡王戦と銀河戦においては実現していない。間もなく5期目の番勝負が始まる叡王戦はまだ歴史が浅いから致し方ないとはいえ、公式戦となってから今期で21期目となる銀河戦でも両者の対戦はない。羽生が5回、佐藤が3回の優勝を達成しており、両者ともが勝ちまくっている棋戦にも関わらずだ(なお、第7期以前の非公式戦時代を含めると羽生の優勝は7回となる。そして第6期の決勝で羽生―佐藤戦が実現している)。

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やはり大山、中原、羽生が同一カードの上位者に

 同一カードの上位者をみると、やはり大山、中原、羽生の名前が随所にみられる。大山十五世名人は升田幸三実力制第四代名人、二上、中原、加藤一二三九段、米長邦雄永世棋聖の5名と100番指し(同一カード100局達成)を実現しているが、5名の棋士との100番指し達成は不滅の記録ではないだろうか。そして、升田を除くと、いずれも年下の棋士ばかりであり、かつ中原を除き軒並み勝ち越しているのは、もはやけた違いの領域だ。

タイトル通算100期に向け、竜王戦1組ランキング戦でベスト4まで勝ち上がった羽生善治九段 ©︎相崎修司

 大山―升田は昭和中期の黄金カードともいうべき存在で、現在と比較して棋戦が少なかった時代に、これだけの対戦を積み重ねたことは、それだけ両者が他の棋士を引き離していた証明だろう。大正男の両者だが、同世代(=大正生まれ)の棋士は40名ほどで、そのうちのおよそ半数に順位戦A級在籍の経験があるが、タイトルを獲得したのは大山、升田の他には塚田正夫名誉十段のみである。

 タイトル戦で最後の大山―升田戦が実現したのが、1971年の第30期名人戦。新戦法「升田式石田流」を駆使し、ファンを魅了した升田が名人奪回まであと一歩に迫るが、最後には大山の底力に屈した。結果として、この最終第7局のあとに行われた大山―升田戦は3局を数えるのみだった。