府中市――展示蓋もある「ちはやふる」
「ちはやふる」は2008年連載開始。府中市は2015年から作品を応援していてイベントなどをおこなっている。すばらしい。ちはやふるマンホール蓋を7枚も作った。他のエリアの、ちはやふる蓋も見てみよう。
蓋の下から3人が手をつないで覗いているようにも見えるが、背景がけやきの木だ。蓋の下の風景ではない。マンホール蓋を鏡面にみたてて、上から蓋をのぞいている3人が反射しているように見える。非方向性が生きている。もちろん実際の蓋の上に3人はいない。すると虚構が反射しているというリアリティが立ち現れる。
マンガの構成では小学生時代は回想シーンだ。成長した3人が回想するかのごとく下を見た時に見た小学校時代の3人なのかもしれない。蓋を見る通行人は、それをさらに見る入れ子式の演出にも解釈できる。「ちはやふる」ファンが体験できる回想シーンの再現装置にも感じる。いい演出だ。マンガの一コマが実際の場所にリアリティをもって演劇的に存在している凄みを感じる。これは原画そのままである事に意味がある。デザ貼りマンホール蓋でなければできない仕事だ。マンホール蓋は奥が深い。
設置場所の府中市片町文化センターは、彼らがチーム戦をした場所のモデルだ。建物の中には同じ蓋が展示されている。
建物の壁をはさんで外の蓋とまったく同じ蓋だ。外の蓋は通行人に踏まれ、自転車にも踏まれ、なんだったらガムも付けられる可能性もあるし、犬やハトに(以下略)もされてしまう。かたやもう1枚は透明ケースの中で大切に展示されている。すごいギャップだ。なんという差別なんだろう。蓋差別だ。差別問題として政治問題化は……しないと思う。たぶん。
基本的に展示蓋は取り上げない予定だったが、ここはそのギャップの激しさに取り上げざるをえない。大切に展示されている蓋を見た後に、外で通行人に踏まれている同じ蓋を見ることができる。展示蓋には展示蓋の面白さがあるが、私はどんなに汚れていても実際の路上に設置されている蓋が好きだ。
デザ貼りマンホール蓋を工夫なくただ設置すると……
府中市片町文化センターの横にある踏切前に、もう1枚のちはやふる蓋がある。
ちはやふる31巻表紙を使ったデザ貼りマンホール蓋だ。
マンホール蓋に最適化したデザインでない画像を貼っただけだ。どう評価すれば良いのか分からない。原画が素晴らしいから印刷して蓋にするのではなく、原画を元にマンホール蓋として最適化されたデザインに落とし込んで欲しかった。
小学生時代の千早・太一・新蓋は、マンホール蓋のためにデザインした原画だったからデザ貼りマンホール蓋にした意味があった。マンガの表紙を蓋にするなら、渋谷区が設置した「3月のライオン」のように努力してほしかった。渋谷区は上手くやった。同じようにアニメ化までしている作品、キャラクターならば、アニメの線と色の関係をそのままマンホール蓋にも落とし込めそうなものだ。
4つの地区のうちの最後、下河原緑道には4枚の、ちはやふる蓋がある。
残念ながらすべて「デザ貼りマンホール蓋」だ。末次由紀の繊細なタッチを再現することが鋳物の凹凸だけでは不可能だから、というのがその理由だ。この描き込みの密度を考えると原画をそのまま印刷して蓋に上から貼り付けたくなる気持ちもわかる。わかるが、せっかくの作品をなぜ鋳物で表現しなかったか残念な気持ちでいっぱいだ。その方が末永く府中市に残る可能性が高かったのに。
5年後、10年後には経年劣化して汚れて悲しいことになっていないか心配だ。なぜ、デザ貼りマンホール蓋で作るのかよく考えてほしい。デザ貼りマンホール蓋を工夫なくただ設置すると、設置した瞬間が一番価値が高く、その後はどんどん価値が下がっていく。実にもったいない。