伝説のレスラーに出会って……
「大阪の天神橋筋六丁目の近くに龍生塾というジムができて。ここで総合格闘技を教えてくれるということで行ったら、まさかのシュートボクシングと空手がメインだったんです。『総合格闘技って聞いたんですけど……』って聞いたら『たまにやるよ』って言われたのでとりあえずそこに入って。岩下伸樹(元SB世界ヘビー級王者)さんが先輩で練習を始めたら、毎回マットに血がべったり。それはもうばかばか殴られるわ蹴られるわで、相当鍛えられましたね」
いままで殴られた分を取り返すべく、井上は一心不乱に格闘技に夢中になっていった。ただ、あくまでも龍生塾のメインはキックボクシング。ここから大日本プロレスへ参戦するきっかけとはなんだったのだろうか。
「ジムに行く途中に中島らもさんの『クマと闘ったヒト』というエッセイにも登場する、ミスター・ヒトっていう伝説のレスラーがやっていたお好み焼き屋さんがあったんです。安達さんという方なんですが、『金ないんなら食わしてやるから来いよ』って言ってくれて、それ以来通うようになったんです。
それからしばらくして龍生塾が、プロレスの興行で試合をやりたいって言いだしたので安達さんをジムに紹介したんです。安達さんからたどり着いたのが大日本プロレスでした」
シュートボクシングの経験はあれど、プロレスの興行にいきなり放り込まれた井上は困惑した。
「急に、『今度大阪大会やるから』って言われて、対戦カードに僕名前が入ってたんですよ。大阪大会といったって空き地だし、相手はプロレスラーですよ? それで『さすがにプロレスはできない』って断ったんですけど、『いやプロレスじゃないですよ。キックボクシングの試合をプロレスの興行の中でやるんです』と(笑)。それでもうしょうがないなと。それがきっかけで、気が付いたら後はそのままプロレスの世界に入ってたんです(笑)」
「優しさでも人は殺せるなって思いましたね」
プロレス参戦へのきっかけも普通じゃない。一方、父のおこした交通事故をきっかけに、実家の借金は手に負えない状態に。家業の息の根は完全に止まった。
「親父の酒量が増えて行ってどんどん借金は膨らむばかり。当然、闇金にも手を出してる状態で、ヤクザが朝から晩まで何度も取り立てに来る。そんな状況でも親父は飲みに行ってました。こういう時って、普通は奥さんが旦那さんに『いい加減にしたら?』とか怒ったりするんでしょうけど、うちのおかんはとにかく優しかった。何も言わないで、『しんどいねんから休んだらいいやんね』と。そんな母を見て、優しさでも人は殺せるなって思いましたね。
プロレスの興行を積み重ねていくうちに大日本プロレスが僕に『うち来ませんか』って言ってくれて。それを機に横浜へ引っ越しました。それが30歳の頃ですかね。でも当時大日本も倒産しかけてて(笑)」
レスラーとして活躍する傍ら弁護士に相談し、どうにもならなくなった家業を整理することに。整理のための費用は、井上がすべてプロレスで稼いだお金で完済しきった。およそ数百万。これで、ようやく苦しい状況から解放されるはずだった。