屋敷 たまに遊びましたけど、いま思えば相手の気持ちはあまりよくなかったかもしれません。当時は無頓着でしたので、配慮できませんでした。若くしてプロになったほうがいいに決まっていますが、そのあたりは難しいですね。何か神格化されちゃうようなところがあるので。
――神格化、ですか。当時の報道だと、屋敷九段は「お化け屋敷」の異名がありました。それは独特な手や強さからつけられたそうですが、感想戦で相手の指摘に相槌を打つことが多く、寡黙なことから「何を考えているかが分からない」ともいわれたそうですね。ただ、デビューしたばかりですから、先輩棋士と対等に話すのも難しかったのでしょう。
屋敷 最近、羽生さんが10代のときのNHK杯を見たんですよ。相手が加藤一二三先生や大山(康晴)先生ですし、感想戦で相手の先生が一方的にしゃべって、羽生さんは黙って追随しているんです。自分だけじゃなかったんだと安心しましたね。別に相手の先生も威圧しているわけではないでしょうが、当時は仕方なかったです。
――初防衛戦の1990年後期棋聖戦は、1990年12月に開幕しました。森下卓六段を挑戦者に迎え、3勝1敗で防衛します。19歳0カ月3日のタイトル防衛は、最年少記録です。
屋敷 森下さんはとにかく勝っていたので、最強の挑戦者を迎えたと思いました。初戦はボロ負けで厳しいシリーズだと思いましたけど、2局目を拾えたのが大きかったです。3局目も勝負手がうまくいき、結果が出せたのはよかったですね。
――当時は10代から60代まで、幅広い世代が覇権争いを繰り広げた時代でした。新鋭の羽生世代、アラサーの谷川浩司九段や「55年組」(昭和55年にプロ入りした棋士で、高橋道雄九段や南芳一九段ら)、40代の中原十六世名人、米長邦雄永世棋聖、50代の加藤一二三九段がぶつかっていました。しかも1990年2月に開幕した棋王戦五番勝負は、66歳の大山康晴十五世名人が登場しています。そのなかでタイトル獲得・防衛した意味について、いまどう思いますか。
屋敷 棋聖戦ではよい結果が出ましたが、ほかの棋戦はそうでもなかったです。それで安心して浮ついたところがあったかもしれないので、力をつけることをもっとしっかり考えないといけなかったですね。
「藤井七段は勝ちまくっていますけど、テーマを大事にしている」
――対局に勝つのと、力をつけるのは違うんですね。
屋敷 ええ。勝ちながら力をつけていければいいんですけどね。藤井聡太七段は勝ちまくっていますけど、将棋を見ると結果より自分のテーマを大事にしてやっていると思います。相手の得意戦法を堂々と受けて立ち、新しいことに挑戦していますからね。当時の自分ももっと意識して考えないといけなかったのでしょう。それは永遠の課題で、引退するまでは続きます。
――その藤井聡七段とは、2017年の朝日杯将棋オープン戦二次予選で対局しています。結果は藤井勝ち。快進撃を続け、中学3年生で初の棋戦優勝を決めました。
屋敷 私が10代のときとは違い、いまは情報が集めやすいのでどういう将棋を指すかが分かります。藤井聡太七段が強いのは分かっていましたし、年齢の違いは感じません。普通に対局し、感想戦でも意見を伺えてよかったと思いますね。
中学生だった藤井七段の将棋をどう思った?
――実際に指してみて、藤井七段の将棋はどう思いましたか。